ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

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2013年02月06日 15時52分17秒 | 教育・指導法

少林寺拳法 橋本西道院・橋本西スポーツ少年団 道場通信

 

ドリーム №722

発行日 2013年2月4日(月) 文責・発行 長坂徳久

 

☆なかなか通信ドリームが発行できない(ブログに書いてしまうので)ので、大車輪発行時に同時発行(月1回)することにしました。

 

【友・・他人を思いやることを教えてくれた仲間たち】

 

長坂が通っていた橋本高校には金剛登山があった。各学年(1年、2年)の2月ごろにあった。長坂が高2の時の登山のことを書こう。

長坂の家は、親の離婚⇒母親、弟、妹、私の4人暮らし⇒母親の蒸発により、残されたのは、私(高二)、弟(中二)、妹(小5)の3人という、なかなか難儀な家庭事情だった。市の生活保護施策を受けて暮らしてきた。バイトもした。

弟や妹が病気になると看病や病院へ連れていくためにに学校は休まなくてはいけない。当時、母に捨てられたショックで妹は不登校状態になっていたので、

特に気がかりだった。ときには、長坂が期末テストのときに、弟か妹が病気になり、テストを休んで病院へ連れて行ったこともある。

そして、同時に、将来の夢も希望もまったく持てる状態ではない長坂自身。学校の授業はさぼりがち。というか、進級できるのか? というぐらいさぼっていた。朝は、学校へ向かわずに、喫茶店に向かう・・それが日常化していた。

 

話しを戻そう。金剛登山。

長坂は行きたくなかった。お弁当がいるからだ。学校には食堂がある。しかし、登山には弁当を持参さなくてはいけない。作ってくれる人はいない。自分で作るしかない。弟、妹には毎日ごはんを作って食べさせていたから、料理はてきる。しかし、多感な年頃、自分でつくった弁当をもっていき、それを友達に見られるのはたまらなくいやだった。

だから、私は、

「おれ、登山やすむわ~」

と友達たち(ほとんどが少林寺拳法部員)に言っていた。理由は誰にも言わなかった。

しかし、長坂は授業をさぼり過ぎているため、登山を欠席すると6単位を落とすことになり、本当に進級が危うくなる。友達たちは、それを知っていたのだろうか・・・。

登山、前日に、みんなが集まっているとき、一人がこう言いだした。

「明日さぁ、みんなでパン持って行けへんか? 昼飯、パンにしようや。」

 長坂はびっくりした・・「なんで? パンなんて冬山でうまくないやん。」と思った。しかし、友達たちの心遣いはわかった。

パンなら、長坂でも持っていける。みんなと同じになる。友達たちは、長坂のためにそれをみんなで相談してくれたのだろう。しかし、そのことを友達たちは、当時、なにも長坂には言わなかった。長坂も聞かなかった。今もそのときのことを聞いたことはない。

ただ、そのとき、長坂がどれだけ救われたのか、うれしい気持ちになったのか・・それはしっかりとしっかりと覚えている。

 登山当日、雪の積もるなか、食べてもパサパサしておいしくもないはずのパンをみんなが一緒に食べてくれた。そのときの味は正直覚えていない。

 しかし、そのときの友達たちの「パン持って行けへんか」の言葉はいまもなお心に大きく残っている。

 人を思いやること・・・それを友が教えてくれた。だから、いまの長坂がある。

 

 

※これをさきにフェイスブックに載せました。みんなコメントありがとうございました。

長坂としては、拙著ドリームで自分のことはすべてに書いてあるので、とくに気にしていなかったのですが、当時の同級生や友達にも家庭のことは一切なにも話さなかったので、はじめて聞いた人はびっくりされたようです。

長坂としては、不幸を売り物にしているととらえられるのが一番本意ではありません。事実を書くのは、それを読んだ人にいま以上の感謝の気持ちをもつことを教えたいから、そして、長坂自身が過去がありいまの自分があると心から思えているからです。

 

過去にあるのは事実だけで、それをよいようにとらえるのも、悪いようにとらえるのも、それはその人の心の持ち方次第です。

過去は変えられます。考え方次第で。

過去が変わると未来も変わります。