ブックレビュー
「いじめ」は必ず解決できる(向山洋一・扶桑社)
現場で闘う教師たちの実践
いま学校で何が起きているか!
向山式いじめ対処法のすべて
教師・親 必読の一冊
長坂『具体的な事例ばかりでとても参考になる。また解決した事例なのでためになる。』
長坂のオススメ「★★★★★」(五つ星)
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園通信
発行日 2008年2月12日(火) 発行・文責 理事長 長坂徳久
【ドリーム寺子屋「勉強しましょ!」】
育夢学園と少林寺拳法橋本西支部の共同企画!
《ドリーム寺子屋「勉強しましょ!」》が始まります。
先生は、育夢学園や少林寺拳法の高校生、専門学生、大学生など。
生徒は、君たち! システムは次のとおり。
①ドリーム寺子屋「勉強しましょ!」に登録する。
②後日通知する時間帯に、ドリーム会館で自由に勉強。
③その勉強を先生たち(高校生、専門生、大学生など)が見て、分らないところは 教えてくれる。
これは、うちのような幼児から大人までさまざまな人たちがいる組織の特性を生かした取り組みです。 子どもたち(小学生~中学生)は、身近な人たちにわからない勉強を教えてもらえる。
→高校生たちは、教えることで自分の復習や勉強になる。育夢学園から少しだがバイト代も渡す。
→いまの小学生もいずれ高校生になったときには、今度は教える側に回る。
→結果として、みんな幸せになる。
→これが「円の効果」です。 関心のある方、登録希望者は、長坂まで 。
また、後輩のために勉強を教えてみたいという高校生以上のみなさんも大募集! 同じく長坂まで。
現役拳士、生徒だけでなく、休眠拳士、生徒、OB・OGも大歓迎!
すでに、h高校探究科の将也くんと梓さんが協力をしてくれると言ってくれています。
気心の知れた人たちに教えてもらうと、「勉強のかゆいところに手が届くんですよね~!」
【四月より土曜スクール強化!】
同じく、高校生、大学生などの協力を得て、土曜スクール(毎週 9時から12時 ドリーム会館)が強化されます。
今までの、国語、算数、マット運動の中の算数の強化を図ります。
高校生たちの指導により、学年別の個々に応じた勉強を展開します。
土曜スクール参加追加希望者は長坂まで。マット運動でも、どんどん大技をマスターしています!
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
発行日 2008年2月9日(土) 発行・文責 長坂 徳久
【長坂流少林寺拳法指導の要諦①】
「静かにしろ!!」
信じられないような大きさの長坂の怒鳴り声!
それでも、言うことを聞かなければ、
「ちょっとこい!」
と言って、頭をバチーンときつく叩く!
恥ずかしながら、長坂にもこんな指導をしていた時期があったのです。
本格的に少年部の指導を開始した1995年、1996年頃のことです。今の長坂の指導方法からは想像ができないことでしょう。特に、全国で長坂の指導を参考にしてくれている方々からは、「うそでしょう!」という声が聞こえてきそうです。
今でも厳しくすることはありますが、それは、意図的に叱っている(指導要素がある)のであって、怒っている(自分の感情で)のではありません。
あの頃は、うまく指導できないことを子どもたちのせいにして怒っていました。そのような指導方法しか知らなかったし、できなかったというのが本当のところです。
いつのときも、子どもたちひとりひとりはみんないい子なのです。しかし、それが集団になると騒がしくなります。これは当然のことです。だからこそ、指導者には技や心を教える以前にしなければいけないことがあるのです。
それは、子どもたちを集団として統率できる力を持つということです。
その次には、決して、力で押さえつけるのでない、媚びるのでもない、物でつるのでもない、
子どもたちが熱中して食いつくような知的で楽しい稽古指導が必要なのです。
長坂が最初に指導でつまずいたのはR学園でした。R学園は児童養護施設なので、みんなが共同生活をしています。みんな兄弟感覚。お互いに遠慮がありません。だから、すぐに兄弟喧嘩のようにもめごとが起こりました。毎回の稽古は、子どもたちの騒々しさ、けんか、泣き声で喧騒なものでした。こちらが泣きたくなりました・・。
それまでは高校生を日本一に導きました(1991年)。また、支部開設(1992年)早々から一般部は県大会で活躍、全国大会出場も重ねていきました。だから、自分でも力のある指導者だとうぬぼれていたのです。
しかし、こと子どもの指導ということでは自分は力のない指導者だと痛感しました。でも、嘆いていても解決しません。大好きな少林寺拳法です。前に進むことしか考えませんでした。必死で勉強しました。
そんなとき、向山洋一先生(現TOSS代表)の本「教育技術入門」(教育技術文庫)を読みました。家の本棚にあったのです。ということは、以前にも読んであるのです。でもその頃は、自分の指導に悩むことがなかったので「気づき」がなかったのでしょう。
そこで次の文章に出会いました。江戸時代の細井平洲という学者の言葉です。
「子育てというのは菊好きの人間が菊を作るようにしてはならない。 百姓が野菜大根を育てるようにすべきだ。」
『菊作りをするときは菊の花の良さそうな芽を残し悪いものはつんでいく。最後に二つか三つのつぼみになり、その中から一輪を咲かせる。 しかし、お百姓さんは、どの野菜でも大切にするように、日当たりの良いところのものはそれなりに、日かげのものもそれなりに大切に育てるようにしなくてはならないわけである。一つ一つの個性に応じて育てろというわけである。』
この子育ての部分は、そのまま「教育」(指導)に置き換えることができます。
※この「長坂流少林寺拳法指導の要諦」は少しずつシリーズ化して書いていきます。
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
発行日 2007年2月7日(木) 発行・文責 長坂 徳久
【あんどこ♪♪】
♪あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
船場山には 狸がおってさ それを猟師が 鉄砲で打ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ♪
もともと「あんたがたどこさ」の遊びは、手まりつき(今はボールつき)です。
一時、テレビ「伊東家の食卓」では、コーナーが作られるほどにいろいろなバージョンが作られました。
しかし、この伊東家の食卓で話題になるかなり前から、TOSSでは体育で準備運動として取入れられたりしていました。
次のようなパターン(長坂の考えたものもあります。)
・両足ジャンプ→「さ」のときに、足を左右に開く
・両足交差ジャンプ→「さ」のときに、足を左右に開く
・両足ジャンプ→「さ」のときに、スクワット。
・腕立伏伏臥位(腕立て伏せをする前の静止状態)→「さ」で腕立て伏せ。
・向かい合ってケンケン→「さ」でお互いの両手を「パチン」と合わせる。
・上記の手を合わせるときに、ケンケンの足も入れ替える。
これらは、稽古でも普段から行っています。
ところで、以前は、「天馬山には狸がおってさ・・」と教えていました。今は、「船場山には・・」と変更しています。子どもたちも少し混乱していたので、
『船場山と天馬山のどちらの説もあるんです。先生はもう一度調べておきます!』
と言いました。こんなとき本当に長坂は調べます。そして、拳士たちに報告をします。
余談ですが、以前、ドリームコースでも「マルコ」(母をたずねて三千里)は何歳か?を調べると約束しました。マルコは、8歳~10歳の設定でした。(第一話のときは9歳。)
さて、この日の稽古の途中で、
『みんなが普段歌っているあんどこは、二番の歌詞なんです。一番の歌詞を知りたくないですか?』
「知りたい~!!」
『では、大きな声で歌いながら一回出来たら、一番を教えてあげます!』
拳士たちは、いつもよりもかなり大きな声で歌って、ジャンプの運動をしました。
『大きな声で出来たね。では、一番を歌います。』
わざと、オペラ歌手のような歌い方をする。
『♪あんたがたどこさ・・♪ あっ、こんな歌い方せんでもええな。』
ここで、次に、めちゃくちゃ高い声で歌ってもう一回笑いを取っておくのがベストだった・・(残念!)
では、一番の歌詞を公開!
♪あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
船場川には エビさがおってさ それを漁師が 網さでとってさ
煮てさ 食ってさ うまさが さっさ
下線のところも、原作はこれです。しかし、地方ではだいたい「煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ」のようです。ただし、「ちょいと隠せ」や「えんまやま」など、地方によりいろいろ違うようです。
ちなみに、船場川は今の「坪井川」(熊本城近く)。そして、船場橋が今もあり、「えび」と「たぬき」のモニュメントがあるようだ。
さて、この日は、あんどこだけで40分ぐらいトレーニングしました。突発的に少林寺拳法版あんどこも思いつきでやりました。
『順突を突いています。「さ」のところで、逆突。最後のかぶせで、逆蹴!』
『反対にします。逆突をついています。「さ」のところで順突。最後で逆蹴!』
『順蹴を蹴っています。「さ」で逆蹴。最後で、飛連蹴!』
これらが結構きついのです。「さ」だけで、11回~14回出てきます。また、このような音楽を使った運動は、「聴覚調整感覚」(リズム感)や手足協応感覚(複合的運動・コーディネーション)を楽しみながら養うことができます。
あとは、運歩でもできますし、いくらでもバリエーションができるでしょう。
拳士のみなさん、保護者のみなさん、新しいバージョンを思いついたら教えてください。
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園通信
《きみたちへ 13》
発行日 2008年2月6日(水) 発行・文責 理事長 長坂徳久
《きみたちへ》は子どもに向けた通信(つうしん)です。
【本当のおもいやり】
やあ、きみたち!今日は先生が高校生のときの話をしよう。
先生のお父さんとお母さんは、先生が中学二年生のときに離婚(りこん)しました。
そのあとは、お母さんと弟、妹でくらしていました。
しかし、先生が高校二年生の夏にお母さんがいなくなりました。どこかへ家出してしまいました。
先生(高2)、弟(中2)、妹(小5)の三人でくらしていくことになりました。
そのとき、先生は橋本(はしもと)高校(こうこう)に行っていました。
橋本(はしもと)高校(こうこう)には、冬に「金剛(こんごう)登山(とざん)」があります。金剛(こんごう)山(ざん)に登るのです。
先生は、二年生とき、その登山を休もうとおもっていました。
先生の家にはお母さんも、お父さんもいないので、誰もお弁当をつくってくれる人がいなかったからです。
自分でも作れなくはないですが、友達はみんなお母さんが作ったきれいで、おいしそうなお弁当を持ってきます。
先生だけが自分でつくった弁当をもっていくのはずかしくていやでした。今のようにコンビニやおべとうやさんもありませんでした。
それとなく、先生は友達たちに「登山は休む」と言いました。でも、その弁当の理由は言いませんでした。
その登山の前の日になりました。友達たちと一緒にいると、ある一人の友達がみんなにこう言いました。
「おい、明日の弁当、パン買って持っていけへんか?!」
すると、他の友達たちも、
「そうやな、パンにしよう!」
と言ったのです。先生はそれを聞いてびっくりしました。
登山の寒い中でパンなんておいしくないのです。でも、友達たちは先生のためにそう言ってくれたのです。しかも、そのことを先生には何も言いませんでした。すごくうれしかったです。
パンなら先生も持っていくことができます。一人だけパンを持っていくのは、なんだかいやですが、みんながいっしょなら、パンでもはずかしくありません。友達たちは、先生のそんな気持ちをわかってくれていたのです。
その日の学校の帰りに、みんなで次の日のパンを本当に買いに行きました。本当にみんなパンを買ってもって行ってくれたのです。たった一人の先生(友達)のために、みんながそうやってくれたのです。
先生は思いました。これが、本当のおもいやりなんだなぁと・・。
今でも、そしてこれからも、あのときの友達の言葉を先生は忘れません。