生徒や弟子をどこまで信じられるか・・
それは、自分自身をどこまで信じられるか、ということでもある。
自分自身に自信がないから、生徒や弟子を信じられなくなるときがあるのだ。
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
発行日 2008年2月9日(土) 発行・文責 長坂 徳久
【長坂流少林寺拳法指導の要諦①】
「静かにしろ!!」
信じられないような大きさの長坂の怒鳴り声!
それでも、言うことを聞かなければ、
「ちょっとこい!」
と言って、頭をバチーンときつく叩く!
恥ずかしながら、長坂にもこんな指導をしていた時期があったのです。
本格的に少年部の指導を開始した1995年、1996年頃のことです。今の長坂の指導方法からは想像ができないことでしょう。特に、全国で長坂の指導を参考にしてくれている方々からは、「うそでしょう!」という声が聞こえてきそうです。
今でも厳しくすることはありますが、それは、意図的に叱っている(指導要素がある)のであって、怒っている(自分の感情で)のではありません。
あの頃は、うまく指導できないことを子どもたちのせいにして怒っていました。そのような指導方法しか知らなかったし、できなかったというのが本当のところです。
いつのときも、子どもたちひとりひとりはみんないい子なのです。しかし、それが集団になると騒がしくなります。これは当然のことです。だからこそ、指導者には技や心を教える以前にしなければいけないことがあるのです。
それは、子どもたちを集団として統率できる力を持つということです。
その次には、決して、力で押さえつけるのでない、媚びるのでもない、物でつるのでもない、
子どもたちが熱中して食いつくような知的で楽しい稽古指導が必要なのです。
長坂が最初に指導でつまずいたのはR学園でした。R学園は児童養護施設なので、みんなが共同生活をしています。みんな兄弟感覚。お互いに遠慮がありません。だから、すぐに兄弟喧嘩のようにもめごとが起こりました。毎回の稽古は、子どもたちの騒々しさ、けんか、泣き声で喧騒なものでした。こちらが泣きたくなりました・・。
それまでは高校生を日本一に導きました(1991年)。また、支部開設(1992年)早々から一般部は県大会で活躍、全国大会出場も重ねていきました。だから、自分でも力のある指導者だとうぬぼれていたのです。
しかし、こと子どもの指導ということでは自分は力のない指導者だと痛感しました。でも、嘆いていても解決しません。大好きな少林寺拳法です。前に進むことしか考えませんでした。必死で勉強しました。
そんなとき、向山洋一先生(現TOSS代表)の本「教育技術入門」(教育技術文庫)を読みました。家の本棚にあったのです。ということは、以前にも読んであるのです。でもその頃は、自分の指導に悩むことがなかったので「気づき」がなかったのでしょう。
そこで次の文章に出会いました。江戸時代の細井平洲という学者の言葉です。
「子育てというのは菊好きの人間が菊を作るようにしてはならない。 百姓が野菜大根を育てるようにすべきだ。」
『菊作りをするときは菊の花の良さそうな芽を残し悪いものはつんでいく。最後に二つか三つのつぼみになり、その中から一輪を咲かせる。 しかし、お百姓さんは、どの野菜でも大切にするように、日当たりの良いところのものはそれなりに、日かげのものもそれなりに大切に育てるようにしなくてはならないわけである。一つ一つの個性に応じて育てろというわけである。』
この子育ての部分は、そのまま「教育」(指導)に置き換えることができます。
※この「長坂流少林寺拳法指導の要諦」は少しずつシリーズ化して書いていきます。