ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

ドリーム No.511

2007年03月09日 23時02分02秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)

少林寺拳法  橋本西支部 道場通信

発行日 2005年4月21日(木)   発行・文責 長坂 徳久

【ゆでがえる理論】 

   約一ヶ月前の法話です。(汗)

  ホワイトボードに、

 ゆでがえる理論と板書。

 『どんな理論だと思いますか?』

子どもたちは色々と憶測して発表しました。答えはいわず、次の問題を出ししました。

《問題①》『熱湯にカエルを入れたらどうなるでしょう?』 

これもいろいろな意見が出ました。

『答えは「カエルはびっくりして飛び出す。」です。』

 《問題②》『水にカエルを入れておいて、少しずつ熱していったらどうなるでしょうか?』 

これも楽しい意見がでました。

『答えは「カエルは熱くなっていくことに気づかずに死んでしまう。」です。』

この二つの現象を「ゆでがえる理論」といいます。これは人間のあらゆることに当てはまると長坂は考えています。次の二つのことがいえるのではないでしょうか。

   一つ目は、「悪いこと、悪くなること」です。悪いことをしても叱られたり、自分が「悪いことをしてしまった」と思い「はっ!」とすることが、「熱湯に入れられたカエル」です。このことで反省もしますし、同じことは繰り返さなくなります。また、自浄できます。 

   反対に、悪いことをしても「たまたま見つからなかったり」なんとなく「ずるずるそのまま過ぎていく」と、気がつけば取り返しのできないことをしてしまっているということが多々あります。というよりも、人が「悪くなる」というのはこういうことだと思います。最初から悪い人はいないのです。大泥棒でも最初はものすごくドキドキした、悪いと思ってやっていたといいます。それが、たまたまばれなかったことで、少しずつ悪くなっていくのです。つまり悪いことを少しずつ積み重ねることで、鈍感になっていくのです。そう、麻痺するということでしょう。これが「少しずつ熱しられている」のに気がつかなくなっていくということです。

  二つ目は、「いいことをしてもらったとき」です。誰かが何かいいことや親切なことをしてくれると、最初は「感動し、感謝」します。しかし、これも、続いてくると少しずつ慣れてきて、それがあたりまえになり、感謝の気持ちがなくなっていくことが人間には多いものです。

  長坂はこの二つ目の「慣れ」による「感謝、感動の摩滅」は本当にこわいことだと思っています。日々感謝して生きましょう!

  さて、話を道場に戻します。

『君たちの中で「②」になっていることはありませんか? たとえば、日記や真向法など。考えて先生にいいに来てください。ない人はないと言ってください。言いに来た人から休憩です。』

  日記を書いていない子どもたちでも「ない」という子がいました。まさに、「ゆでがえる」状態でしょう。ゆでられている(悪くなっている・自分が悪いことをしている)という自覚すらなくなっているのです。少しでも早く、「はっ」とさせてあげなくてはいけません。

 


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