北加賀屋に新しく出来たこのスペースに初めて行った。というか、この企画がオープニング・フェステバル作品のようだ。まず、この空間のことから書き始めたい。受付となったク・ビレ邸は、古い木造住宅をリフォームした建物で、基本的には外観はそのまま残して(そこは弄れないらしい)内装を大胆に改造したこの計画全体(北加賀屋のとあるエリアの古い住宅を順次改装して芸術活動の一大拠点を作るものみたいだ)のインフォメーションセンターらしい。この古い町の廃屋(というか、使われてない家屋だが)を活かしてさまざまなジャンルの若者文化を担う町作りをする。地域に人たちと共に、この町の活性化を促す。北加賀屋クリェイティブ・ビレッジ構想、と呼ぶプロジェクトだ。
バーと展示スペース、会議室からなる。2階建ての建物なのに半分は吹き抜けにしてある。2戸一の狭い住宅を完全に叩き壊して、骨組みだけを残して自由に設計して、作り直した。でも、随所にもとの住居の残したイメージを留めるのも、いい。大体外観をそのままにする、というのがおもしろい。公演会場となる「芸術中心◎カナリア条約」はこのク・ビレ邸から徒歩5分の場所にある。工場か倉庫のような場所をこれも外観はそのまま残して、なんと、その中に、そのまま家(というか、小屋だな)を作る。それがこの劇場である。このプロジェクト全体のプロデューサーである佐藤さんは「まぁ、これはでかい犬小屋だな」とおっしゃっていた。
天井も高く(工場だし)アクティングエリアも充分ある。階段状に組まれた客席はキャパ100席くらいだろうか。公演は松島誠『ハネジィ‘11』とウラナチ『電人Bさんの完全犯罪』の2本立。開演時間になる直前、客席の片隅にへんなはげのオヤジが座る。やがて、そのオヤジがフラフラと立ち上がる。そして始まる。彼が松島誠さんだ!(すみません、はげのオヤジ、だなんて失礼なことを書いてしまいました)でも、まるで酔っぱらいのオヤジみたいで、とても怪しい。彼ともうひとりのパフォーマーである橋本礼さんによるダンス作品だ。橋本さんが出てきたらとても落ち着く。彼女の正統的なパフォーマンスと、松島さんの破天荒な動きがクロスして、なんとも言い難い空間が現出する。
続いて、ウラナチである。岸昆虫さんの芝居は、とても普通の意味での演劇とは言えない。芝居からどんどんはみだしていくボーダレスな感じが好きだ。芝居枠組みの中に簡単には収まらない。美術作品と呼ぶ方がいいのではないか、という作品も多い。それは岸さんの狙うところでもある。そう言う意味で、今回もまた、同じである。というか、今回はいつも以上にその「はみだしていく」感覚が重視される。
これは劇なのに、どんどん「劇」の外側へとはみだしていく。舞台上に集まってくる人たち。彼らはいつまでも舞台上を歩いている。右から左へ左から右へ、と。それを延々と見せる。そろそろいいかげん、新しい何かが起きてもいいだろ、なんらかのリアクションくらい起こせよ、とイライラさせる。フラストレーションが貯まる。でも、まだ、続く。ある種の限界を踏み越えてしまっても、まだ続く。この感覚がおもしろい。彼らはやがて、ここに定着して、生活が始まる。それぞれが家を持ち、そこでの生活が始まる。本を読み、音楽を奏でる。彼らのセッションは人が生きていくという行為そのものだ。やがて、彼らは家を出て、何かを始める。もちろん、そこにはストーリーラインなんかない。僕がわかりやすくするためにこんなことを勝手に書いているだけだ。
大体、途中から演出家である岸さん自身が舞台上に登場し、役者やスタッフに指示を出す。ここには外と内との区別がない。さらには自分も一緒になって演じる。これはライブパフォーマンスでも、ダンス公演でもなく、演劇だ、と言われる。「今から演劇公演が始まります」というアナウンスが為される。セリフもないのに、ことさら演劇と呼ぶことで、演劇は従来のキャパシティーから、解き放たれる。もっと大きなものとなる。
始まるまえに、「10分後、いきなり始まります。」という前説がある。トヨタさんはこの舞台の演技者だ。彼女による前説には台本がある。それを彼女は10分かけて、読む。役者なので憶えていってもよかったのだが、敢えてテキストを見ながら話す。彼女は自分の話は聞かなくてもよい、という。トイレにでも、行ってください、という。でも、もうそこから芝居は始まっている。
同じようにすべてが終わった後、再び彼女が「これでおしまいです」と言う。でも、みんなはまだ舞台に出ていて、踊っているし、音楽の演奏も続くから、なかなか席を立てない。観客は彼らをいつまでも見守り事になる。やがて、何人かが立ち上がり劇場を出る。でも、舞台上ではまだ誰もはけずに、演じている。
ここには厳密な台本はない。即興劇である。何をしてもいい。シーンはあるけど、台本はない。何が展開していくのか、先が読めない。というか、先はない。もちろん全体の構成はあるし、きちんとそれは細部まで作り込まれてある。稽古が為されてある。まぁ、稽古しながら作りあげてある、という気もする。でも、その前提のもとで自由なのだ。この空間も含めてこの作品はある。それがどこに行きつくのかはよくわからないけど。
バーと展示スペース、会議室からなる。2階建ての建物なのに半分は吹き抜けにしてある。2戸一の狭い住宅を完全に叩き壊して、骨組みだけを残して自由に設計して、作り直した。でも、随所にもとの住居の残したイメージを留めるのも、いい。大体外観をそのままにする、というのがおもしろい。公演会場となる「芸術中心◎カナリア条約」はこのク・ビレ邸から徒歩5分の場所にある。工場か倉庫のような場所をこれも外観はそのまま残して、なんと、その中に、そのまま家(というか、小屋だな)を作る。それがこの劇場である。このプロジェクト全体のプロデューサーである佐藤さんは「まぁ、これはでかい犬小屋だな」とおっしゃっていた。
天井も高く(工場だし)アクティングエリアも充分ある。階段状に組まれた客席はキャパ100席くらいだろうか。公演は松島誠『ハネジィ‘11』とウラナチ『電人Bさんの完全犯罪』の2本立。開演時間になる直前、客席の片隅にへんなはげのオヤジが座る。やがて、そのオヤジがフラフラと立ち上がる。そして始まる。彼が松島誠さんだ!(すみません、はげのオヤジ、だなんて失礼なことを書いてしまいました)でも、まるで酔っぱらいのオヤジみたいで、とても怪しい。彼ともうひとりのパフォーマーである橋本礼さんによるダンス作品だ。橋本さんが出てきたらとても落ち着く。彼女の正統的なパフォーマンスと、松島さんの破天荒な動きがクロスして、なんとも言い難い空間が現出する。
続いて、ウラナチである。岸昆虫さんの芝居は、とても普通の意味での演劇とは言えない。芝居からどんどんはみだしていくボーダレスな感じが好きだ。芝居枠組みの中に簡単には収まらない。美術作品と呼ぶ方がいいのではないか、という作品も多い。それは岸さんの狙うところでもある。そう言う意味で、今回もまた、同じである。というか、今回はいつも以上にその「はみだしていく」感覚が重視される。
これは劇なのに、どんどん「劇」の外側へとはみだしていく。舞台上に集まってくる人たち。彼らはいつまでも舞台上を歩いている。右から左へ左から右へ、と。それを延々と見せる。そろそろいいかげん、新しい何かが起きてもいいだろ、なんらかのリアクションくらい起こせよ、とイライラさせる。フラストレーションが貯まる。でも、まだ、続く。ある種の限界を踏み越えてしまっても、まだ続く。この感覚がおもしろい。彼らはやがて、ここに定着して、生活が始まる。それぞれが家を持ち、そこでの生活が始まる。本を読み、音楽を奏でる。彼らのセッションは人が生きていくという行為そのものだ。やがて、彼らは家を出て、何かを始める。もちろん、そこにはストーリーラインなんかない。僕がわかりやすくするためにこんなことを勝手に書いているだけだ。
大体、途中から演出家である岸さん自身が舞台上に登場し、役者やスタッフに指示を出す。ここには外と内との区別がない。さらには自分も一緒になって演じる。これはライブパフォーマンスでも、ダンス公演でもなく、演劇だ、と言われる。「今から演劇公演が始まります」というアナウンスが為される。セリフもないのに、ことさら演劇と呼ぶことで、演劇は従来のキャパシティーから、解き放たれる。もっと大きなものとなる。
始まるまえに、「10分後、いきなり始まります。」という前説がある。トヨタさんはこの舞台の演技者だ。彼女による前説には台本がある。それを彼女は10分かけて、読む。役者なので憶えていってもよかったのだが、敢えてテキストを見ながら話す。彼女は自分の話は聞かなくてもよい、という。トイレにでも、行ってください、という。でも、もうそこから芝居は始まっている。
同じようにすべてが終わった後、再び彼女が「これでおしまいです」と言う。でも、みんなはまだ舞台に出ていて、踊っているし、音楽の演奏も続くから、なかなか席を立てない。観客は彼らをいつまでも見守り事になる。やがて、何人かが立ち上がり劇場を出る。でも、舞台上ではまだ誰もはけずに、演じている。
ここには厳密な台本はない。即興劇である。何をしてもいい。シーンはあるけど、台本はない。何が展開していくのか、先が読めない。というか、先はない。もちろん全体の構成はあるし、きちんとそれは細部まで作り込まれてある。稽古が為されてある。まぁ、稽古しながら作りあげてある、という気もする。でも、その前提のもとで自由なのだ。この空間も含めてこの作品はある。それがどこに行きつくのかはよくわからないけど。