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映画・演劇のレビュー

『つやのよる』

2013-02-04 20:27:17 | 映画
昨年、原作を読んだとき、これはとても映画向きの素材だな、と思った。小説としてはいささか物足りないが、映画にすれば、ここには不在のつや(艶)という女を見事に描くことが可能だ。しかも、これを行定勲監督が映画化すると聞いたとき、すごい傑作が生まれるのではないか、と歓喜した。彼が『バレード』『女たちは2度遊ぶ』に続く新作に、この小説を選ぶのはとても自然な流れだ。

 これは、ものすごくたくさんの人物が交錯する群像劇である。しかし、その中心にいるはずの本来の主人公であるつやという女性は、今、病院のベッドの中で横たわったままで、もう意識が戻ることもない。この中心の空洞の中身は埋められない。だが、これはそこにいるのにこの映画の中では不在のままの彼女の人生を描くのではない。彼女と関わった男たちの今を描くのである。しかも、男たちは主人公ではない。つやと関わった男たちのパートナーである女性が、各エピソードの主人公となるのだ。

 5つのエピソード(6人の女)はそれぞれ独立していて、それぞれが主人公を持つ短編連作というスタイルを取る。つやと関わった男たちは登場するが、脇役でしかなく、彼らのパートナーが、そのエピソードの主人公となり話は展開する。つやという女性が危篤状態にあるという連絡を受けた彼女たちのその後の日常生活が描かれる。つやを巡る話ではあるのだが、それは各エピソードのきっかけでしかない場合すらある。彼女たちを通して見知らぬ女であるつやという女性が浮き彫りにされるわけでもない。

 空洞は、空白のまま、死んでいく。そして、実際の彼女のお通夜には、男たちは誰も彼女のもとを訪れない。松生は自分が勝った、と思うのだが、そこに漂うのは虚しさだけだ。

 2時間19分もの長尺なのだが、誰のエピソードも、中途半端なまま、宙吊りにされる。原作の方が、もっと各エピソードが、際立つように書かれてあった。しかも、独立性がある。だが、映画はそうはしない。曖昧なまま、投げ出される。それが行定勲監督のねらいなのだ。不在のつやが鮮明に見えてくる映画を期待したのに、行定勲は、不在のまま、終わらせる。そこが見終えた直後は不満だったが、今は納得している。彼は、そんな当たり前の映画を作るつもりなんか毛頭ない。中心ではなく、不在、そこがテーマだ。

 誰も、何もしゃべらない。自分の気持ちも、つやへの想いも、すべてである。そのもどかしさが、この映画の大事なポイントだ。その結果物足りない映画になる。何が描きたかったのかわからない、と思う観客もたくさんいるはずだ。誰にも感情移入できない作りになっている。表面上の全体の主人公である今のつやの夫、松生(阿部寛)も、まるで何を考えているのか、わからない男に見える。だが、人間の心というものはそんなにわかりやすいものではない。

 多彩な豪華キャストたちは、ほんの少しの登場シーンだけで、消えていく。彼らは映画の中に自分の存在をアピールするため、いささかオーバーアクト気味だ。演出はそれを敢えて抑えさせない。自由にさせている。インパクトの強い芝居を助長する。岸谷五朗なんか、やりすぎじゃないか、と思う。だが、あれは明らかに演出の指示だろう。あの着流しとか、メガネとか、コスプレか、と思わせるほどだ。自分をひとつの鋳型の中に、カテゴライズしてしまう。一瞬の登場で、その人の生き様すら喚起させる。だが、彼らはただの風景でしかない。主人公である六人の女たちの方は、線の薄い描き方に終始する。その対比がおもしろい。(小泉今日子のみ、インパクトあり過ぎだが、それはそれで、最初のエピソードなので、意図的なのだろう。この映画全体の方向付けを明確にするためではないか)

 そんな中、阿部寛の自然体が際立つ。つやのために身も心も滅ぼしてしまう男を淡々と演じている。この映画の空洞を埋めるのは彼の日常性だ。毎日黙々と家と病院を自転車で行き来し、つやへの狂おしい想いを胸の中に秘めて、こんな状態になっても、彼女の心が過去にも未来にも自分ではなく他の男に向いていることに嫉妬する。とても愚かな男だが、そんなバカな男を、阿部寛は、滑稽とすれすれのところでバランスを取って演じている。ラストエピソードは、彼が棄ててきた妻と娘が主人公になるのだが、そこで、娘から「お父さん!」と声をかけられるのに、何も言えず逃げ去ってしまう姿が胸に痛い。彼は、一体何のため、ここまでつやに執着するのか。

 何一つ魅力的には見えないつやという女性(というか、彼女のことは映画の中で、何一つ描かれないのだが、)を巡って、女たち、男たちが蠢き、やがて、彼女とは関係のないところで、それぞれの人生を生きている。誰かが誰かの人生の中で関わりを持てる時間なんて、そんなものかもしれない。あまりにドラマチックで、なさすぎるこの映画は、一般受けはしないだろうが、映画自体は、今まで、どこにもなかったタイプの作品になる。僕はあまり好きな映画ではないけど、秀作になったと思う。行定勲の目的は見事に達成された。






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