習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

あさの@しょーいち堂『紅の半纏』

2013-11-24 08:50:05 | 演劇
 浅野彰一の主役する芝居を見るのは久しぶりだ。というか、とても久しぶり。学生劇団の頃(劇団新天地)はよく見たけど、ファントマを始めとするエンタメ芝居はあまり見る機会がなかったからだ。今回、たまたまこの作品を見ることが出来て、よかった。

 宣伝には「痛快火消活劇」とあるが、それほど派手な芝居ではない。浅野が主役として大活躍するのではなく、群像劇になっている。江戸から東京へと時代が変わって、新時代がやって来た頃。火消は消防と名を変えたが、システムはまだ基本的には変わらない。江戸と同じように東京も火事が多い。当たり前だ。まだ、名前が変わっただけで、人も、町も変わらない。そんな時代を背景にして、庶民の哀歓を描く。

 要するに人情劇なのだが、それだけに終わらせない。エンタメで、最終的には幻の火消し集団、紅組の活躍を描くお定まりのお話。だが、芝居はそれほど単純ではないのだ。ドラマは時代の大きな転換期、政治とは関係ない庶民の暮らしの描写から始まる。でも、彼らもまた時代の要請で変わらなくてはならなくなる。芝居は明るく元気に生きる庶民の生き様を、まずきちんと見せる。だが、連日の火事で、疲弊していく現実も背景に捉える。そんな中で、与えられた仕事をこなし、でも、そこに誇りを抱き、みんなのために火事の中へと身を投じる町火消たちの姿を描く。

 視点はこの町で暮らす人たちの側にある。権力側は一切描かれない。頻発する火事を通して、そこから庶民の側の新政府への不満や憤りをもっと前面に押し出して描いて見てもよかった。だが、そこまではしない。権力の側の横暴が人々を傷つける。新政府は対外政策と新しい文化、新国家の目に見える部分のみに気を取られて、そこで生きる人たちの暮らしにまで気が回らない。だが、そこには、そこで確かに生きているたくさんの人たちがいるのだ。この芝居の背景にはそういう実情がある。全体的には幾分バランスがよくないのが難点だ。権力の側と庶民の側とのバランスである。


 浅野はそんな町に17年振りで帰って来た男、風の兆治を演じる。彼と、彼の仲間たちを巡るドラマを見せながら、ラストまで一気にドラマを引っ張っていく。2時間強のドラマはある種の淡々としたリズムで貫かれ、大仰な見せ場は作らない。ラストの大火事のシーンだって、幾分地味目だ。これはスペクタクルを見せたいのではない。あくまでも、人々の営みをきちんと追いかけたいのだ。人間ドラマとして成立させることを第一義と考えるからだろう。そういう意味では危ういが成功しているだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 堂場瞬一『Sの継承』 | トップ | 『かぐや姫の物語』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。