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映画・演劇のレビュー

堂場瞬一『Sの継承』

2013-11-24 07:56:01 | その他
これは600ページに及ばんとする大作だ。重い。こんな重い本を抱えて電車に乗りたくない。でも、仕方ないから、持参する。ここ数日通勤が苦痛だった。だが、本自身は実に面白いから、仕方ない。

まずこれはエンタメ小説としては実によくできている。だから、読んでいて先が気になる。ページを繰る手が止まらない。途中で電車を降りたくない。職場に到着しても、ついつい続きを読んでしまう。やばい。という感じ。おかげで、3日間で読み終えてしまった。授業の空き時間も少し使ってしまったほどだ。ぜひ、長谷川和彦監督に映画化してもらいたい。『太陽を盗んだ男』の続編として「この小説をぜひ!」、そんなことを想わせる小説なのだ。


 それにしても長い。しかも、前半の「行われなかったクーデター」の部分があまりに不完全燃焼なので、欲求不満が溜まる。でも、それが作者のねらいどころなので、仕方あるまい。あくまでもこれは第2部のリアルタイムの犯罪部分が描きたかったのだ。だが、これは犯罪小説ではない。革命を描くドラマなのだ。主人公たちの志は高い。でも、それが現代ではただの犯罪にしかならないという哀しい事実がこの作品の底流を流れる。そこをしっかり抑えるためにもあの第1部の部分が大切になる。戦後日本は奇跡の復興を遂げた。だが、その途上でこんなはずではなかったと、歯噛みする想いを抱いた人たちもたくさんいたはずだ。60年安保を背景にしながら、アメリカの庇護下ではなく独立国としての矜持を守るために、革命を目指した。無能な政治家を追いだし、本当のあるべき日本を目指す。そのための闘いだ。だが、理想と現実の間で苦しむ。さらには、内部の過激派の暴走。あっけなく瓦解する。この前半部分の無念とそれを50年の後、実現する。だが、そんなことは可能なのか。あの日の理想は本当に成就するか。前半の不発に対し、その代わり、後半戦はいきなりクライマックスだ。計画ではなく、実際の毒ガス事件から始まり、国家転覆へと急直下。タイトルも『暴走、そして沈黙』となんとも分かりやすくてストレート。そういう意味では前半の『恐怖の均衡』というのもわかりやすい。

 1963年と2013年。ふたつの時間を繋いで日本に革命を起こす大事件を描く。荒唐無稽だけど、でも、その大胆さが面白い。ありえない、と思いながらも、ありえるかもしれないとも、思わせる。Sによる犯罪の単純さ。でも、これくらいシンプルでなくては、不可能だろう。後は、彼がどこまで本気なのか、ということだ。バカな総理は、ともかくとして、優秀な官僚たちや、日本の警察機構をたったひとりで相手取り、これだけ大胆で大掛かりな行動を起こしてしまう。そのへんが、先に書いた『太陽を盗んだ男』を想起させた原因だろう。だが、19歳の少年の行為はネットを通して拡大し、暴走するが、一瞬でネットによって収束する。このへんの描き方は面白いのだけど、あまりにあっけない。このくらいのことは想定しておいて欲しいところだ。その上で、さらにその先へ話を進めてもらいたい。終盤で一気にスケールダウンする。

 50年前の不発に終わった松島(彼もまた、国重の意志を受け継いだ。国重は赤坂の、というふうに、継承されている。)という男の意志を受け継ぎSを名乗る青年がいきなり起こすたったひとりのクーデター。この筋書きは悪くはない。後は、彼を巡る話にもう少し緻密さが欲しかった。

 国家転覆は不可能なのか。もっとドキドキさせられていいのだ。というか、そうでなくては意味がない。これだけの大作なのである。当然の話だろう。なのに、終盤尻すぼみする。Sの描写だけではなく、全体のドラマも、もう少し緻密に作ってくれたなら、よかったのだ。だが、その全体像が雑。しかも最後には、驚きがない。ここまで、やったのだ。それなら、もっともっと先にまで連れていって欲しかった。彼を追い詰める側が実は彼を擁護して、この暴走を助長する、というような筋立てでもよかったのではないか。Sの純粋さ、弱さを大人がサポートすることによって、この国にほんとうの革命がもたらされる瞬間が見たかった。600ページはあっという間だったけど、これでは物足りない。




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