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映画・演劇のレビュー

『レオニー』

2010-12-16 22:42:14 | 映画
 イサム・ノグチの母親であるレオニー・ギルモア(エミリー・モーティマー)の生涯を描く大河ドラマ。20世紀初めのアメリカと日本を舞台にして、彼女の波瀾の人生を描く。こういうTVドラマは数あるが、最近は、映画ではこういうものは作らない。お金ばかりがかかって、あまり儲からないからだ。

 松井久子監督は、自力で13億円(だった、と思う)という破格の制作費を調達して、日米で大がかりなロケーションを敢行し、壮大なセットを作り、この大作をドライブする。凄いことだ。とてもではないが、この公開規模では制作費の回収は望めない。でも、きっと大丈夫なのだろう。ロードショーで一気に動員するのではなく、長い時間を掛けて、地道な上映活動を繰り広げて、自分が自信を持って作り上げたこの映画を、確実に観客のもとに届ける。彼女はこれまでの2作でも、そうして、実績を積んできたのだ。

 主人公のレオニーはとても頑固な女である。日本人の詩人であるヨネ、野口米次郎(中村獅童)の仕事を手伝い、彼を売り込む。そのうち当然のように2人は恋に落ちる。だが、日本がロシアとの間で戦争を起こし、ロシア側につくアメリカでは暮らしにくくなり、彼は単身日本に帰ってしまう。彼女はしばらくは母のもとで暮らすのだが、やがてヨネを追いかけて、幼い子供(もちろんイサム・ノグチだ)とともに、遠い異国である日本にやってくる。

 だが、夫である彼はアメリカでの彼とは違い日本では日本のやり方で彼女に接する。彼女はそんな彼に頼ることなく、たったひとりで子供を育てながら、生きていく。男女間の垣根に阻まれて、自由に生きられないのなら、夫の庇護なんかいらない、と思う。大体彼は日本に帰ってから他の女と結婚していて、自分は妾扱いされる。そんな屈辱にも耐えられない。

 弱い女ではなく、自分の意志で自由に生きる女でありたい。それにしても、彼女はわざわざこんな異境の地にまで来て、何がしたかったのだろうか。何が彼女を突き動かしたのか。映画を見てもよくはわからない。本来そこって一番大事な部分ではなかろうか。なのに、それが曖昧なままだ。もしかしたら、本人にもよくわからなかったのかもしれない。

 だがその頑固さは伝わる。日本が好きになった、とかいうわけでもない。大体彼女は、ずっとここで暮らすのに日本語を覚える気もない。英語で押し通す。それって凄くないか。あの時代の日本で、女ひとりで子供を抱えて生きるだけでも大変だろうに、自分のライフスタイルは曲げない。いろんな人たちの助けを借りるが、そんなこと当然とばかりに、毅然としている。人に頭を下げない。堂々としている。なんでここまで偉そうに出来るのか、不思議だ。でも、やってしまう。あんたは一体何様ですか、と言いたくなる。この自信ってすごい。最初からずっとそうである。アメリカでも、日本でもその姿勢は変わらない。偏屈な女だ。だが、ここまでやられると、感心するしかない。まいった、と思う。あんたはすごい、というしかない。




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