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映画・演劇のレビュー

『キカイダー REBOOT』

2014-06-10 21:58:29 | 映画
人間そっくりに作られたアンドロイド。人型ロボット、ジローとマリー。この2体のお話からスタートする。『キカイダー』の映画化なのだが、これをどんなふうに展開させていくのか、興味深々だった。スタートは悪くないのだが、その後の展開がなんだかなぁ、のストーリーで、本格的SF巨編を期待したのに、いつもの子供向けレベルの毛が生えた程度の作品に落ち着く。

 予算的にはハリウッドには及ばなくても、ストーリーの面白さで優って欲しかった。どうしてこんなふうに単純で穴だらけのお話に終始するのか。キャラクターデザインとか、結構頑張っているのに、まるでリアルじゃないような幼稚な話でお茶を濁したのはなぜだ? 

 ジローが守るのは、何なんか。「ARKプロジェクト」を巡る背景となる話もなんだか舌足らずで、説得力がない。国家的プロジェクトのはずなのに、なんて杜撰な計画なのか。キカイダーに組み込まれた良心回路が作動して彼は人を殺めることができないため、本来の力を発揮できないとか、オリジナルの設定もちゃんと生かしながら、新たなフィールドに足を踏み込んだ壮大なスケールのドラマになっていたはずなのに、話の中盤から完全に尻すぼみ。

 これでは蘇った『ロボコップ』と比較するまでもない。まるで、ダメ。リブートした設定は、ただのお子様ランチでは意味がない。原作へのリスペクトは必要だが、大人の鑑賞に堪え得る映画を目指したのではなかったのか。博士の息子・マサルの中に眠る「光明寺ファイル」を手にするためにサバイバルを描くシーンが中心になる。逃げるマサルと姉のミツコを守るジローの戦いが描かれる。でも、これではなんか話が安易すぎないか。だいたい光明寺ファイルの意味もよくわからないし。

 終盤のハカイダーとの戦いも、なんか、何の意味があるのか、と思うし。お話がちゃんと消化されないまま、中途半端に流れていく。だいたい最初はマリとジローの話だったはずなのに、マリがまるで蚊帳の外に追いやられるのはなぜだ。マリがビジンダーに変身しないのは、いいけど、じゃ、ジローもキカイダーに変身しなくても、いいんじゃないか? 

 人型ロボットの平和利用と軍事利用についても、もっと具体的なビジョンが欲しかった。『ロボコップ』は散々そこをちゃんと見せていたのだ。後発の映画がそれすら描けないようでは意味がない。

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