
小林政広監督入魂の1作。仲代達矢が、現代のリア王を演じるロードムービー。仲代のいささか芝居がかった大仰な演技が鼻につく、と言う人もいるだろうが、あれは意図的なもので、そこで乗れないなら、この映画についていけなくなる。これはシリアスで淡々としたドラマとして作ってない。ひとつのお話として、象徴的に作ることである種の普遍を描くのだ。田舎臭くて全くかわいくないけど(わざとそうさせている)とてもけなげな孫娘(徳永えり)と2人で、北海道の家から、親戚を頼って東北を旅する。震災の後である今、この映画を見ると、作者の意図とは全く違ったところに痛ましさを感じてしまうこととなる。ロケ地である仙台、気仙沼の風景がたくさん収められてある。
老人問題を扱いながら、ラストではほんの少しファンタジーの味付けもなされていくことに対しても、きっと甘い映画だと文句をいう人がいるのだろうけど、これは映画なのだし、人間の善意というものを信じたいからあれでいい。旅の最後で、孫娘と一緒に家路をたどる途中で、自分の人生に満足して死んでいく老人の姿は希望に満ちあふれている。死というものは、絶望ではない。精一杯生きた人間にとってそれは祝福の瞬間なのだと思う。
頑固な老人が、人生の最期に、今ではバラバラに暮らす兄弟たちのもとへと行く(それは身寄りのない自分の面倒をみてもらいたいからなのだが、彼はとても高飛車で、孫娘はハラハラする)旅を通して、彼は、老人となったかつての家族のひとりひとりがそれぞれ精一杯今を生きている姿を目撃していく。そこに痛ましい老残を見るのではなく、それぞれが困難の中で、自分たちの力で「老い」と向き合っているという事実を知り、元気をもらってくる。(あっちこっちで、けんかばかりするのだが)これはそんな映画なのだ。
老人問題を扱いながら、ラストではほんの少しファンタジーの味付けもなされていくことに対しても、きっと甘い映画だと文句をいう人がいるのだろうけど、これは映画なのだし、人間の善意というものを信じたいからあれでいい。旅の最後で、孫娘と一緒に家路をたどる途中で、自分の人生に満足して死んでいく老人の姿は希望に満ちあふれている。死というものは、絶望ではない。精一杯生きた人間にとってそれは祝福の瞬間なのだと思う。
頑固な老人が、人生の最期に、今ではバラバラに暮らす兄弟たちのもとへと行く(それは身寄りのない自分の面倒をみてもらいたいからなのだが、彼はとても高飛車で、孫娘はハラハラする)旅を通して、彼は、老人となったかつての家族のひとりひとりがそれぞれ精一杯今を生きている姿を目撃していく。そこに痛ましい老残を見るのではなく、それぞれが困難の中で、自分たちの力で「老い」と向き合っているという事実を知り、元気をもらってくる。(あっちこっちで、けんかばかりするのだが)これはそんな映画なのだ。