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映画・演劇のレビュー

『レッツ・ゴー 仮面ライダー』

2011-04-09 08:42:49 | 映画
 とうとうここまでバカな映画を作ることになったのか。そんな末期的症状に、ただため息だけが出る。それでも見に行く自分にも。

 東映は以前は1年中、アニメをやっている会社だったが、今では1年中ライダーと戦隊ものを作っている会社になってしまった。しかも、1本1本の作品が、まるでTVレベルのちゃっちいものばかりで、よくもこれを劇場のスクリーンに平気でかけることができるものだ、とあきれる。映画会社としての矜持はない。だが、これは、なりふり構わないというのとも、違う。なんか元気がない。

 以前は少しは骨のある映画も混じっていた。でも、もうダメだろう。そういう作品を作ろうとする作家には依頼しないし。安易でお手頃の安上がりしか望まない。子どもを騙して、お金をむしりとる。そんな商売しか考えてない。予告編でやっていたオール戦隊シリーズ大集合とかいうかんじの映画もこの後公開されるようだが、いくらいたいけな子どもたちでも、さすがにもう見に行かないのではないか。

 『仮面ライダー BLACK』が放送された時は、ちょっと面白いことになったな、と思ったのだが、その後シリーズは自滅していき、『電王』がブレイクした時には、僕はもうついていけないと思った。

 今回の「ライダー40周年記念大作」なのだが、ただ数を集めただけの同窓会でしかない。せっかく作ろうとした世界観を生かそうとする努力くらいはして欲しいのだけれど、今のこのシリーズにはそんな気骨のある監督やプロデューサーはいないのだろう。雨宮慶太が復帰してくれたなら、もう少しはなんとかしてくれるのではないか、と思うが、無理だろう。彼が『人造人間ハカイダー』を作った時、このシステムの中でもやれることはある、とうれしかったのだが。あの時の勢いはもう夢の世界の出来事だ。

 アメリカ映画の『スパイダーマン』や『バットマン』に対抗できる映画を目指して日本には『仮面ライダー』がある、なんて思っていた昔の僕たちを鼻で笑ってあげよう。

 初めてTVで『仮面ライダー』を見たときの感動と興奮は今でも忘れられない。蜘蛛男と改造人間にされた本郷猛が戦う第1話から、蜂女くらいまでが、子供心にもハイライトだった。その後すぐ放送は終了し、一時の幻と消えていたが、たとえそのままでも、思い出に残るTVドラマとして、記憶のかたすみにしっかり刻まれたはずだ。それくらいにインパクトは強かった。

 その後、ライダーブームとなり、さすがに最初ほどはのめりこまなくなったけど、『V3』くらいまでは毎回欠かさず見ていた。僕は1度のめりこむとかなりしつこい性格なのである。個人的には『サイボーグ009』のほうが好きだったけど、どちらにしても、大事だったのは、自分だけが特別な存在になる、という部分なのだ。そして同時に孤独な存在になる。ということ。小学生だった頃、僕たちがライダーにあこがれたのは、そこにある。向日性のヒーローではなく、影のある存在。そこがポイントだ。ウルトラマンとは違うのである。誰も自分のことを理解してくれないけど、自分は正しい。その正しさを信じて孤独に生きていれば、誰かが助けてくれる。そこから仲間が生まれる。あの頃、ショッカーと戦うライダーの中にそんな想いを仮託して、見ていたのではないか。

 封切りから4日目のガラガラの劇場はなぜか、ほとんどが大人ばかりだった。まぁ平日の夜の回だったし、そんなものか。

 バカな出来事によって、ショッカーが支配する世界になった現代。しかたないから、40年前に戻って歴史をもとに戻す、という話自体は悪くはない。だが、ここまでちゃちに作らないで欲しかった。やはりこれでは悲しい。

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