20世紀の終わり(98年)に低予算で作った自らの傑作を、四半世紀を経て今新たなストーリーとしてセルフリメイクした黒沢清の新作。日仏合作映画だ。哀川翔が演じた主人公を柴咲コウが演じた。もちろん舞台はフランスである。
わけのわからない不気味さが持続する。彼女はなぜこんなことをするのか。彼女は精神科医である。殺し屋だとか、探偵だとか(まぁ探偵は殺しはしないだろう)いうわけではない。娘を残酷な形で殺された男の復讐に加担する。冷静に対応して容疑者を誘拐する。犯人を拉致監禁して殺す。さらには真犯人を捜し出し殺す。
協力するという立場なのに、依頼者である男以上に積極的でクール。そんな女を柴咲コウが演じる。彼女は何者なのか。本題の合間に彼女の患者である西島秀俊演じる男との診療シーンを2度挟む。3度目は死体となった彼との対面である。彼は海外生活の環境に馴染めず自殺した。だが、柴崎は彼を救えなかったことに対して何の感慨もない。
そしてラスト。ここで明かされる事実は衝撃的ではない。そんなわけでこんなことをしていたのか、と思うだけ。それはそこにリアリティがないからだ。ムダな銃撃戦も感心しない。
黒沢清はいったいどうしたのだろうか。こんなつまらない映画を彼が作るなんて、と思った。オリジナル版は面白かったという記憶があるが、今見たらどう思うか。あれは二本撮りの低予算90分ほどのB級映画だった。(前作は『蜘蛛の瞳』とセットで作られた)あれから25年。今これを見ても僕は何も感じない。