goo blog サービス終了のお知らせ 

習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

太陽族『林檎幻燈』

2013-06-29 08:24:57 | 演劇
今回の太陽族は岩崎さんのオリジナル台本ではない。こういうことはめずらしい。しかも、若手作家の初長編ということだ。想流私塾で岩崎さんに師事した西史夏さんの作品。岩崎さんは彼女の個性を尊重し、彼女の世界観に寄り添うように芝居を作ろうとする。作品としてはいささか物足りない。だが、それを強引に自分の世界観の中に引き寄せることはしない。そんなことをするのなら彼女に書いてもらった意味はない。だが、彼女の世界を忠実に再現するだけでは太陽族の芝居にはならない。ギブアンドテイクだ。お互いが成長できるように、作品はある。

 そういう意味ではこれはとてもよくバランスのとれた作品ではある。典型的なアングラ芝居のテイスト。岩崎さんは自分ではそういう台本は書かないけど、実はこういうタイプの作品がとても大好きだ。以前寺山修司作品に挑戦しているし、(『大山デブコの犯罪』)今年もこの後、『血は立ったまま眠っている』を取り上げるようだ。(アイホール主催レトロスペクティブ)

 歌やダンスシーンもあるが、それはとてもおとなしくて、そこだけ突出することはない。物語の流れの中にきちんと収める。2時間の上演時間は長くはない。話は自由奔放にどんどん連想方式で横滑りしていく。少年と少女の冒険というスタイルを取りながら、家族の話、戦争の話、夢の流れ。幻想と現実のはざま。10人の役者たちが変幻自在に様々なキャラクターを演じていき、楽しい。

 だが、話の芯に当たる部分が弱いから、ドラマには求心力がない。流されていくばかりなのだ。昔のアングラ芝居にはストーリーの整合性はなくても、ただ勢いがあった。それだけで引っ張ってしまうほどだ。何をしゃべっているのかすら、わからなくても唾がびびゅうっと飛んできて、必死に何かを訴えてくるだけで、なんだかよくわからないけど、熱いものが伝わった。西史夏さんのこの作品にはそんな熱さが感じられない。それは岩崎さんの演出も同じだ。あえてそういうところから離れたところで芝居を作ろうとしているようだ。もちろん、それは正解である。今時暑苦しいだけの芝居なんかお断りだ。だが、チラシにも書かれてあるように「物語志向の鉱脈を掘りたい」というのなら、求心力は欠かせない。それがこんなにも弱いのは致命的だろう。

 「林檎」とは何なのか。名前のない少女は名前を獲得できるのか。大体まず、どうして彼女には名前がないのか。言葉とは何か? 双子との関係性。両親との関係。全編に散りばめられた様々なイメージがどう連鎖していくのか。それは整合性を求めるのではない。骨太な物語のうねりのようなものが欲しいのだ。なのに、ここにはそれがないのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ブーリン家の姉妹』 | トップ | 『さよなら渓谷』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。