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映画・演劇のレビュー

クロムモリブデン『こわくないこわくない』

2014-09-23 09:23:09 | 演劇
 自慢じゃないけど、もう20年以上クロムを見ている。デビュー作は見逃したが、2作目の『キエテナクナレ』から、大阪での芝居はほぼ、すべて見た。東京に行ってからは、ダメだが、大阪での上演はほぼ、全部見ている。筋金入りのクロムフリークだ。と、こう書くのは恥ずかしいし、情けない。まるで、ちゃんと芝居を見れてないし、好きだけど、いつも、青木さんからおいてけぼりを食らう。ついていけないのではない。そのあまりにイメージの豊饒さと、溢れる情報量に翻弄されて、芝居から振り落とされるのだ。悲しい。わからない。というのではない。だいたいわかる必要はない。ただ、げらげら笑えばいいのだ。いつもとても不謹慎な芝居だ。世の顰蹙を買うことが目的ではないか、と思わせるほど。社会現象や、時事ネタを取り込んで、現代をすかして抉る。昔から変わらない。ずっと青木さんは青木さんで、今回の当日配布のパンフにも書かれているように、あらすじは、そこに書かれた「そんな話です」だ。猫の話をそこには延々と描かれてある。まるで、芝居とは関係ない。でも、本人が言うようにそこにこそ、この芝居の本質が隠されてある。というか、本人は隠してはいないけど、読み手はわからない。

 わからない、ということは、困ったことではなく、世の中はわからないことだらけなのだ。わからないから知りたくない。それが現実。でも、ときどきキチガイが、怒り出す。どうして、わからないのか! と。

 この芝居の主人公も、また、そうだ。ある夫婦は近所の空き家に忍び込む。普通そんなことしない。そういうことをするのは、昔の子供だけだ。なんとそこには、子供がいた。なんで? その子は普通じゃない。まともに外の世界と接してこないで、今まで暮らしてきたようだ。言葉も満足に通用しない。夫婦はこの子を引き取り、自分たちの子として育てようとする。竹取の翁がそうしたように。二人には子供がいない。子供は欲しくても出来ないからだ。そのへんの事情はことさら説明しない。逃げ出した子供を追いかけて、この家の地下室へと行く。すると、そこには、、、

 あらすじなんか、芝居を見ても(もちろん、映画を見ても)一切書かない主義(というか、めんどくさいだけ)の僕が気付くと、あらすじを書いていて驚く。いかん、いかん。今、僕はこの芝居を解ろうとした?

 数えてみたら18人。そんなことより、今回、舞台美術がない。そちらのほうが、気になる。この芝居の美術は人間だ。役者が舞台美術を兼ねる。もちろん、それは嘘だ。そんなこと、誰もしていない。必要ないから作らない。クロム史上最大のキャストを従えての公演となる、らしい。舞台上は、人だらけだ。(でも、森下くんがいない。板倉チヒロもいない)美術を敢えて廃して、今回は挑む。

 子供を主人公にした。そうすると、「育児放棄、児童ポルノ、神隠し、赤ちゃんプレイ、(以下、省略)」(チラシより)ぞろぞろ、青木さんが興味を持つ現象が数珠つなぎで出てくる。これは、そういう芝居だ。興味本位で見ればいい。震撼させられるのは、そこに描かれる「今ある現実」に、ではなく、青木さんの脳内世界に、だ。

 実は前作を見逃した。だから、今回は久々のクロムになる。(青木さんが「広瀬さん、前回見なかったでしょ」と、芝居の後、おしゃべりしていてポロリと言った。ちょっと、感動した。そんな些末のことすら覚えている!)見ながら、とてもうれしかったのは、相変わらずバカバカしくてナンセンスなその世界に翻弄されたことだ。青木さんが描く世界は恐ろしい。笑いながら、簡単に人を殺すくらいに。この狂った時代に正常を保つためには、こういうスタンスが必要なのだ。

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