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映画・演劇のレビュー

『ビルと動物園』

2009-03-02 22:38:22 | 映画
 とても寡黙な映画だ。主人公の2人はほとんど喋らない。自分の気持ちを言葉にしない。映画自体も説明になりそうになると、その部分をはしょってしまう。だからわかりにくいシーンもある。そのくせ何でもないシーンはけっこうじっくり見せる。こういうスタイルを敢えて斉藤孝監督は選んだ。

 都会で暮す30歳前後のOL女性(坂井真紀)のなんでもない日常をスケッチすることで、彼女の不安と孤独を日常の中に埋もれさせて見せていく。こういうふうにして僕たちはこのなんでもない平凡な毎日を生きている。この映画をつまらないと一刀両断にしてしまうのはちょっと無理だ。そう言い切ってしまうと生きていることの意味さえ見失う。もっと何か生きる希望とか、目的を見出すべきだ、なんてありきたりなことを言わないで欲しい。そんなこと人に言われなくてもわかっている。でも、それが見つけ出せないからこんなふうにしているのだ。

 29歳という年齢設定には深い意味はない。彼女が30歳でも32歳でも同じことだ。(かって鎌田敏夫は『29歳のクリスマス』を書いたが、今では29歳はそこまで大袈裟な年齢ではあるまい)20代最後の年というところには重きを置いていない。そんなふうにすると、自分が惨めになるだけだ。

 それはもうひとりの主人公である青年(小林且弥)についても言えることである。彼は今21歳でもうすぐ大学を卒業する。音大生だが音楽で身を立てる決心は出来ない。そんなに単純なものではない。煮え切らない男だ。

 こんな宙ぶらりんな2人がなんとなく付き合っている。お互いに1歩を踏み込めないし、臆病だ。単純に好きだとか、惚れたとか言うことではない。それは年の差とか、環境とかの問題だけではない。2人の生きる姿勢のほうが大きいのではないか。

 結局何もないまま映画は終わっていく。厭きれるくらいにドラマらしいドラマはない。この映画を見た人はそのあまりの空疎さに驚くかもしれない。しかし、ほとんどの人の人生ってこんなものなのだ。こんなふうにして何もない毎日が明日も明後日も続いていく。だが、それはつまらないことではない。そんな生活の中に僕たちの生活はある。そして、そんな中で一喜一憂する。それだけのことなのだ。

 ビルの街で暮らし、働く。日曜日に動物園に行くこともある。それは特別なことではない。だが、この映画の特別な時間はその動物園のシーンだったりする。2人がデートする。まるで子供のデートだ。そんななんでもない場面が映画のクライマックスである。と、言いつつも映画はその後も続く。田舎から父親が出てくるシーンや、仕事を辞めて田舎に帰るシーンが印象的なのはドラマが唯一動き出す場面だからではない。彼女の日常のひとつにそんなシーンまでもが埋もれることに対する感動がそのシーンに象徴されるからだ。

 見終えたとき、なんだか元気が貰えた気になるのは、主人公の2人が地に足をつけてしっかり生きていたからだ。決して彼らは不器用なだけではない。誠実に自分と向き合い生きてる。その姿が感動を生む。

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