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映画・演劇のレビュー

『ブラ!ブラ!ブラ! 胸いっぱいの愛を』

2021-10-17 09:45:59 | 映画

とても不思議な映画を見た。ドイツとアゼルバイジャンの合作映画らしい。監督は『ツバル』のファイト・ヘルマーだということを見終えてから調べて知った。あの映画の監督ならこのテイストは理解できる。それにしても何をやろうとしたのか、わかるようでよくはわからない。

前半のタッチと後半ではまるで違う。主人公である機関車の運転手の日常のスケッチから映画は始まる。線路は人々の生活圏の中を通る、車両のほんのすぐ近くに家が建っている。洗濯物は線路をまたいで干されていたり、線路上に人々がテーブルを出してお酒を飲んでいたり、チェスとかをしていたりする。一日の、きっと数回しか電車(汽車?)は通らないのだろう。車両が近づくと少年が笛を吹いて警告に走る。なぜかこの少年は、線路わきの犬小屋に住んでいる。

お話が転調をきたすのは、洗濯物であるブラジャーが汽車の窓(運転席の前のところ)に引っ掛かり、その持ち主を探そうとするところからだ。それまでのほのぼのとしたリアリズムから、なんだかシュールなタッチのコメディに変容する。彼が定年を迎え、長年勤めた仕事を終えた後である。ブラジャーの持ち主を探す旅に少年もついていく、ふたりのささやかな旅はドン・キホーテとサンチョパンサのようだ。それまでずっと運転手として汽車を走らせてた沿線をふたりで歩き、いくつもの家を訪ねる。見慣れたはずの風景の中に入っていく。でも、車窓からの風景と実際自分の足で見る風景は違う。見知らぬ人たちの家をノックして、このブラはあなたのものではないですか、と尋ねるなんて異様である。ちょっと考えればわかることだ。でも、彼は平然と行う。

映画は最初からずっとへんである。だいたいこの映画が無声映画(台詞以外の生活音はちゃんとある)であるというところからして、へん。本来なら言葉で伝えるところを一切ことばを発せずに描いていくから、映画自身のテイストや表現はいびつになる。パントマイムが多くなるからリアルではない。しかも、それに同調するかのように、お話自身もいびつになる。胸の検診車を乗っ取り検診に来た人たちのバストをチェックしていくエピソードとか、コメディでもばかばかしくて、ありえない。チャップリンやキートン時代の無声映画のノリである。もちろん、この映画も無声映画なのだけど。

タイトル通り「ブラ」を巡る話にちゃんとなるのだけど、どうしてそんなところにお話の主軸が置かれるのか、よくわからない。笑わせるため、だけではないのだろうけど。でも、なぁ、と思う。

だいたいアゼルバイジャンののどかな風景だけでも、不思議な雰囲気を醸している。そして、お話がこんなふうにヘンテコで、何を言いたいのかよくわからなし、別にそこには特別なテーマがあるわけではないし、なんとなくぼんやりと90分見ている。これはそれだけでいいのだろう。頭を空っぽにして、なんとかく笑いながら見ればいい。そんな映画なのだ。


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