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映画・演劇のレビュー

角田光代『紙の月』

2012-10-21 08:26:18 | その他
 読みながらどんどん嫌な気分になっていく。1億円を使い込んで逃亡した主婦。パートで銀行の営業の仕事をしていて、預金を預かり自分が作った債券を渡し、お金は自分の口座に入れて、自由に使う。そんなことしてよくばれないものだと思うが、必死に上手く切り抜ける算段をたてた。だんだんなんのために何をしているのだか、よくわからない状態になる。最初は5万円。それがどんどんエスカレートしていく。すぐに返せると思った。でも、お金はいくらあっても、使い始めたらすぐになくなる。しかも、使い始めると金銭感覚がなくなり、むちゃくちゃになるのは、想像がつく。そういう意味では、これはよくあるお話だ。

 犯行に及ぶ原因は、ささいなことだ。だが、根っこにあるのは、彼女のそれまでの人生のすべてが影響している。ちょっとしたボタンの掛け違い。それが、どこまでも酷いこととなる。本人は自覚はない。年下の恋人にお金を貢ぐなんていうのもよくあるパターンで、どんだけマニュアル通りの小説か、とこれを読むと思うはずだが、実際はそうではない。彼女のパターンは、彼女の個別の状況から考えると、どうしようもないと思える。どんなことにも複雑に絡み合うそれぞれのケースがある。一筋縄ではいかない事情があるのだ。

 三面記事のような描写で説明するとつまらないパターンにはまることが、こんなにもリアルな状況を背後に持つ。当たり前の話なのだが、その当たり前がスリリングに描かれる。でも、それを読み進めると、だんだん自分まで暗くなる。この女性の陥る罠が、誰もがありえる状況に見えて来る。しかも、並行して描かれる彼女のかつての知り合いである(今はかかわりない)3人の男女の話が彼女と紙一重で、入れ替わりが十分可能なのだ。「彼女は、そこにいるあなたなのだ」とでも言われているような気分になる。不愉快極まりない。しかも彼女に感情移入できるようには作らない。客観描写で描く。パターンに見えてリアルというのは、そういう作者の視点が徹底しているからだ。ただのよくある話にはしない。

 どこにでもこういう魔はある。日常生活からほんのちょっと逸脱しただけ。でも、もう取り戻せない。平穏な生活と背中合わせにこういう世界がある。「魔がさした」なんてのが、誰にでも起こりうる。いかに逃亡するか、ではなく、早く誰かに止めてもらいたい、という心情が根底にある。だが、誰も止めてはくれない。際限なく落ちていく感覚。本当に嫌な小説だった。

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