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映画・演劇のレビュー

銀幕遊学レプリカント『Hの標本』

2007-01-23 20:10:52 | 演劇
 作品解説はフライヤーの佐藤さんの文章がとても的確で(そりゃぁ、作者ですから)分かりやすい。この文を読むとこの作品のことが分かったような気になるはずだ。しかし、無理して分かろうとする必要はない。ストーリーとしては、語られないこういうパフォーマンスを分かろうとするのは、とても困難なことだ。だから、まず感じること。そこから伝わってくるものを受け止めたならいい、と思う。

 何の予備知識もなく、この舞台を初めて見た観客は、きっとその音の洪水に、まず圧倒される。そして、繰り返される林檎に手を伸ばす運動。求めることと、満たされぬ思い。そして、貪ること、倒れること。立ち上がり、倒れ、立ち上がり、倒れ、と繰り返される運動。

 とても美しい映像として、パフォーマーたちの均整のとれた動きが、提示されていく。「メカニカルな身体表現」(これもフライヤーにあった)という言い方はなかなか的を得ており、なるほどと思わされる。

 だが、感情を排した彼らの動きは、とても人間的で、身体表現とともに見事に構築されたこの空間は、血の通った世界を暗示する。そんなパフォーマーの背景となる白で統一された無機的な舞台美術は天国のイメージなのだろうが、ステージ上に撒かれた白の紙吹雪は死の灰をイメージさせる。ここは天国ではなく、真っ白になってしまった廃墟と化した世界を思わせるのだ。

 舞台では幾度となく「食欲、愛欲、睡眠欲のイメージが繰り返される」が、この舞台の終末近くで提示される戦争のイメージが重く心に残る。HはヘブンのHではなく、ヒューマンのHであり、人間自体の愚行が、この作品の中では色鮮やかに描かれており、それを第三者の視点から冷徹に整然と見せてくれる。林檎の赤、空間の白、衣装の黒。それらが交錯していく1時間の凝縮されたステージは、美しくて淋しい。

 客席に向けられた銃は、ここではない何かに向けて放たれる。彼らは銃を使って自分たちを守るしかない。しかし、その銃だって彼らの安全を保証するものではない。

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