習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ヨコハマメリー』

2007-01-23 21:00:27 | 映画
 かってこの町に、ひとりの娼婦がいた。年老いた彼女は、この町をいつも浮遊するように漂っている。この町で生きている人たちなら、誰でもみんな彼女を知っている。真っ白に顔を塗って、貴族のようなドレスに身を包んだ老女。大きな荷物を引きずりながら、毎日町を歩いている。

 ヨコハマという町を描くこと。その時何を切り口にするか。作者である中村高寛監督は、そこで生きた人をまず描くべきだと思う。そして、この作品は切り口としてヨコハマのメリーさんという人にスポットを当てる。

 彼女を歴史として描くのではなく、人の記憶を通して描いていく。メリーさんという名物女性。あの人なら誰でも知っている、と言う。でも、あの人が誰なのかは誰も知らない。映画はそこを描こうとする。

 失われていく町の記憶。その中に居たメリーさんという存在。彼女を、そこに住んでいる人たちの記憶の中にあるメリーさんの思い出として聞き出していく。それぞれの時代の記憶の中の彼女と町の風景。この映画はヨコハマ伊勢崎町という狭いエリアを描く。

 95年12月。メリーさんが去ってしまった後、10年の歳月を経て取材していきながら、カメラを抱え町を歩き、話を聞いてまわる。中村監督はなぜメリーさんがいなくなったのかを、個人的な興味から取材していこうとする。その姿勢が面白い。ドキュメンタリーとしての使命感のような気負いがない。子供のように「なぜだろう」という疑問からスタートして長い時間をかけてじっくり見つめていく。

 ラストで、彼女を援助していた元次郎さんが、郷里の養老院で暮らすメリーさんを訪ねていくシーンが追加して描かれていくのも優しい。

 メリーさんがいたヨコハマ。かってのこの町が消えていく。この映画は、「町と人」(ヨコハマとメリー)を個人的な想いから辿っていく。そんなささやかな映画である。メリーさんが生きた時代、人生を辿るのではない。彼女がこの町にいたという記憶を辿ることで、この町のひとつの時代を描くことに成功している。

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