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映画・演劇のレビュー

大崎梢『クローバー・レイン』

2012-08-26 18:54:13 | その他
 図書館で何も読む本が見つからず、ブラブラしていた時、全く何の期待も抱かずに手にした本である。なんとなく新作コーナーで目にして、手に取っただけ。なのに、それがこんなにも、心に沁みた。

 文芸の編集者が主人公。1冊の本を世に送り出すまでのお話。ただそれだけ。こういう地味な内容の小説ってめずらしい。一応ラブストーリーの体裁にもなっているけど、あくまでもそれはついでにそんな展開も生じた、という程度の話で、そこに力点はない。

 偶然から手にした今では世間から忘れられた中堅作家の原稿。地味だけど、心に沁みるその小説をなんとかして、出版したいと思う。大手出版社の編集者で、人気作家をたくさん抱える若手№1。自分では分かってないけど、けっこう傲慢。そんな彼が、周囲の反対を押し切り、なんとかしてその小説を出版にまでこぎつけるまでのお話。こんなふうに書くとなんか、つまらないけど、彼の生真面目さが、とてもいい。地道に努力してなんとかして、この原稿を本にしようとする彼の姿から目が離せない。

 青年が大人に成長していく姿を描く小説は数あれど、こんなふうに等身大で本人目線で貫いたものは少ないのではないか。彼の感じたこと、やったことが、丁寧に順を追って描かれていく。そこには何の作為もない。あまりに素朴で素直すぎて1冊の本として大丈夫なのか、と心配するくらいだ。

 作品中の小説『シロツメクサの唄』と、この小説『クローバーレイン』が重なってくる。これは日の当らないところで、ちゃんと誠実に生きている人たちの話だ。それは夜間学校で外国人の少女を教える教師の話らしい。それが、その小説を何とかして出版しようとする編集者の話である本編となぜか重なるのは、どちらもささやかなものにスポットをあてて、それを大事に育てる話だからだ。

 大切なことは目の前のたったひとりの人に自分の気持ちが届くかどうかである。もちろんひとりでもたくさんの人に届くといい。だが、大きなものを求め過ぎると大切なものを見失うことになる。そんなことをこの小説はちゃんと教えてくれる。

 大手出版社に入社し、編集の仕事に就く。誰もが羨むような地位にあるエリート。人気作家の担当になり、今まで順風満帆な人生を送ってきた。人の痛みが分からないのではない。でも、どこか、上から目線で生きてきたのかもしれない。営業のある男と出会い、彼から協力を拒絶される。今までの挫折を経験したことのない人生の傷がつく。ここから話は面白くなる。だが、ドラマチックにはしない。あくまでも地味なままだ。

 生きていくことって、そんな地味な努力の積み重ねでしかない。誰も知らない所でたくさんの人たちがそんな努力をしている。でも、なかなか報われることはない。それでも、めげずに頑張る。この小説はそんなどこにでもいる素敵な人たちへのエールだ。成功した人にクローズアップして、美談を見せるのではない。名もない人たちの弛まざる努力にスポットをあてて、それをさりげなく見せる。

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