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映画・演劇のレビュー

『悪の華』

2019-10-11 20:54:00 | 映画

 

こんなにも気分の悪くなる映画はなかなかなかろう。井口昇の映画は、いつもそんなところがあるのだけど、今回は今までの比ではない。凄まじい。井口監督は今まで低予算映画のなかで直接的な描写で、チープでグロテスクなものを見せてきたけど、今回はそういうわけではない。それどころか、こんな内容なのに、この映画はとても美しい。特に空の色。その広がりと抜けるような青さ。彼らの抱える閉塞感がこんなにも美しい田舎の風景のなかで展開する。前半の山に囲まれた風景、終盤の海の描写。この映画が描くふたつの時間をそこに象徴させる。

 

中2の頃と、その3年後である高2の頃。このふたつの時間が交錯する。彼らが抱える闇の深さ。少年と少女が傷つけあいながらも、もたれあい結果的にふたりでこの苦しみを乗り越えていく。

 

「このクソムシが」と蔑む言葉は、自分へと反っていく。相手を攻撃することで、自分を守るだけではなく、自分たちふたりを前へと進ませる。これは彼らの勇気ある戦いの記録である。だから見終えた時一瞬だけど、なんだか爽やかな気分にすらなる。もちろん、あのとってつけたようなハッピーエンドを信じるわけではない。しかし、決して不幸ではない。とってつけたような嘘くささがそこまであれだけのことをしてきたからなんだかやけにリアルなのだ。

こんなにもめちゃくちゃでぐちゃぐちゃで、地獄に落ちても、それでも前を向いている.見ていてあまりに息苦しくて何度となく目を背けたくなる。彼らの痛ましい姿は見るに忍びない。自分を変態だと認め、変態としての矜持を守り、生きていく。最初は怯えながら、理不尽な要求に応えていたが、やがては、それが現実を突き破るためのパスポートとなる。このクソのような町で、クソのような自分と向き合い、この世界の向こう側を夢見て、そこへと旅立っていく。

 

3年後の時間は決してユートピアではないことは、明白だが、3年の月日が彼を少しだけ成長させ、彼女との再会はお互いを少しだけ前進させる。再会がこんなにもここちよい。そして、もう一緒になることはない。あの頃は終わったのだから。でも、地獄は続く。

 

 


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