
前作『タンタンの冒険』がいまいちピンと来なかったので、今回こそは、の期待を込めて公開4日目の劇場に行く。前作はモーションキャプターで、それが気持ち悪かったというのも、がっかりの理由だが、スピルバーグ自身のパワーダウンは否めない。今回も悪い映画ではないし、感動の大作ではある。だが、それ以上のものがない。よく出来た感動作というレッテルからはみ出すものが一切ないのだ。2時間半に及ぶ大作で、飽きさせず一気にラストまで見せきるのは、さすがだ。だが、そんなこと、天下のスピルバーグ! なのだから、わかり切った話ではないか。要はそれだけに止まらない新しい発見がなければ、意味がない。
ヒューマン映画のお決まりのパターンにきちっと収まり、ちゃんと感動させる。主人公の少年のもとに、ジョーイ(彼の愛馬)がちゃんと帰ってきて、めでたし、めでたし、なんて、それだけでいいのか。戦争の悲惨さ、それがテーマなんかではない。そんなお決まりのパターンに終始するのならこの映画には何の意味もない。そんな悲惨な状況の中で生き抜く「馬」を通して、何を描こうとしたのか。馬主観の生き抜く力の賛歌ですか? それはないだろ。擬人化しているわけではない。『ジャングル大帝』でレオが主役を張るのとはこれはかなり違います。では、彼(馬です! もちろん)と関わる人間たちの姿を描く、のか、と、言うとそれもなんだかなぁ、である。主人公は、最初の、彼を飼う少年からスタートして、軍馬として徴用され、軍人さんのドラマになり、馬の世話をする兄弟とか、老人と孫娘とか、ドラマがロンド形式で、描かれるのだが、そんな馬とたくさんの人たちとのドラマがメインなのかと、言われると、それだけでもないし、それだけではつまらない。じゃぁ、この映画は何が描きたかったのか。そう考えると、僕にはなんだかよくわからなくなるのだ。
馬視点ではないけど、馬が主観になりドラマが展開する。でも、彼が感情を表現するわけではない。あくまでも寡黙で、運命を受け入れるしかないのは、馬だから仕方ない。終盤の疾走するシーンなんて、かなり感動なのだが、彼がどこに向かって走るのか、その行為にどんな意味があるのか。有無を言わさない何か、があればいいのだが、それがここにはないのだ。すべてが中途半端だ。お話のご都合主義なんかは、僕は気にならなかった。そんなこと、どうでもいい。もっと「大きな」ものがちゃんと描けていれば些末のことなんか気にならない。だが、その「大きな」ことが描けていないのが問題なのだ。
スピルバーグは昔から変わらない。いつも善意の人で優しい。弱い者の味方で、正義の人。だが、ただの「いい人」ではない。初期の作品にあったもっとハチャメチャなドラマが好きだった。バランスなんか崩しても構わない。悪意すら感じさせるもの。『ジョーズ』や『未知との遭遇』とか、監督作品ではないけど『ポルターガイスト』の頃にあったもの。書きながら、それってどれだけ古い話か、と自分でも呆れるのだが。
この映画は、いい人ばかりが出てきて、いろいろあるけれども結局はすべてがうまくいく。ハッピーエンドは否定しない。だが、それでいいのか? なんだかなぁ、と思う。この物足りなさは、この映画に於いて致命的な欠陥となる。
ヒューマン映画のお決まりのパターンにきちっと収まり、ちゃんと感動させる。主人公の少年のもとに、ジョーイ(彼の愛馬)がちゃんと帰ってきて、めでたし、めでたし、なんて、それだけでいいのか。戦争の悲惨さ、それがテーマなんかではない。そんなお決まりのパターンに終始するのならこの映画には何の意味もない。そんな悲惨な状況の中で生き抜く「馬」を通して、何を描こうとしたのか。馬主観の生き抜く力の賛歌ですか? それはないだろ。擬人化しているわけではない。『ジャングル大帝』でレオが主役を張るのとはこれはかなり違います。では、彼(馬です! もちろん)と関わる人間たちの姿を描く、のか、と、言うとそれもなんだかなぁ、である。主人公は、最初の、彼を飼う少年からスタートして、軍馬として徴用され、軍人さんのドラマになり、馬の世話をする兄弟とか、老人と孫娘とか、ドラマがロンド形式で、描かれるのだが、そんな馬とたくさんの人たちとのドラマがメインなのかと、言われると、それだけでもないし、それだけではつまらない。じゃぁ、この映画は何が描きたかったのか。そう考えると、僕にはなんだかよくわからなくなるのだ。
馬視点ではないけど、馬が主観になりドラマが展開する。でも、彼が感情を表現するわけではない。あくまでも寡黙で、運命を受け入れるしかないのは、馬だから仕方ない。終盤の疾走するシーンなんて、かなり感動なのだが、彼がどこに向かって走るのか、その行為にどんな意味があるのか。有無を言わさない何か、があればいいのだが、それがここにはないのだ。すべてが中途半端だ。お話のご都合主義なんかは、僕は気にならなかった。そんなこと、どうでもいい。もっと「大きな」ものがちゃんと描けていれば些末のことなんか気にならない。だが、その「大きな」ことが描けていないのが問題なのだ。
スピルバーグは昔から変わらない。いつも善意の人で優しい。弱い者の味方で、正義の人。だが、ただの「いい人」ではない。初期の作品にあったもっとハチャメチャなドラマが好きだった。バランスなんか崩しても構わない。悪意すら感じさせるもの。『ジョーズ』や『未知との遭遇』とか、監督作品ではないけど『ポルターガイスト』の頃にあったもの。書きながら、それってどれだけ古い話か、と自分でも呆れるのだが。
この映画は、いい人ばかりが出てきて、いろいろあるけれども結局はすべてがうまくいく。ハッピーエンドは否定しない。だが、それでいいのか? なんだかなぁ、と思う。この物足りなさは、この映画に於いて致命的な欠陥となる。