
たわいもない児童映画かもしれない。弟が出来たら自分は両親から愛されなくなるのではないか、と心配する少年の話だ。学校に行くとなかよしグループがいて、彼らと無邪気ないたずらをして毎日を過ごす。父親の知り合いのところに行きそこの娘さんが好きになる。そんなこんなのどこにでもある風景が描かれる。フランスの児童文学(絵本らしいが)の映画化で、今までも散々作られてきたパターンの映画だ。だが、見ていてなんだかとても気持ちがいいし、なんだか新鮮だった。それはこの映画が大人目線では作られていないからだ。そのことも今では当たり前のアプローチなのだが、そんなありきたりに見えることが、何よりも大事で、それって頭で考えるほど簡単なことではない。
たった90分の映画である。この定型ともいえる上演時間がいい。長くもなく、短くもない。昔から伝統のように引き継がれてきた映画の定番の長さだ。この長さなら1本の話を過不足なく描ける。しかも変な力が入ってバランスを崩すこともない。大体そうなるとどうしても90分には収まらなくなるからだ。先日の『カンフーパンダ2』だってちゃんと90分だったし、『ココリコ坂から』もそうだった。端正で礼儀正しい映画はこの尺数にきちんと収まるものだった。だが、最近ではそんな暗黙のルールは誰も守らない。いたずらに長くする傾向がある。もちろん面白ければ文句はないし、面白いものが長く続けば、嬉しいのは当然の話だ。だが、それが作り手の驕りであってはならない。作者は自分の作っているものがつまらないなんて思うはずもない。客観的評価は他者が下すもので、自分ではわからない。そこが問題なのだ。やりたいことをすべて詰め込めば監督は気持ちがいいだろう。だが、それはえてして独りよがりだったりする。難しいのはそのへんのバランスのとり方であり、どこまで客観的に見れるのか、ということだ。その点この映画は素晴らしい。
弟が出来るのではないか、という誤解からあの手この手でそれを阻止しようとするニコラの奮闘ぶりを縦糸にして、父親の昇進を巡る奮闘をそれに添わせる。親子でなんかやってることの間抜けさはよく似ているのが微笑ましい。大人も子供も根本的には同じようなものなのだろう。ラストの、これまた定番のオチも悪くはない。何も特別なことはいらないのだ。あっと驚くラストなんか、この映画に誰も望まない。僕たちは反対にホッとしたいのだ。子どもたちのいたずらを見ながら、優しい気分にさせられることこそ、望むところだ。
たった90分の映画である。この定型ともいえる上演時間がいい。長くもなく、短くもない。昔から伝統のように引き継がれてきた映画の定番の長さだ。この長さなら1本の話を過不足なく描ける。しかも変な力が入ってバランスを崩すこともない。大体そうなるとどうしても90分には収まらなくなるからだ。先日の『カンフーパンダ2』だってちゃんと90分だったし、『ココリコ坂から』もそうだった。端正で礼儀正しい映画はこの尺数にきちんと収まるものだった。だが、最近ではそんな暗黙のルールは誰も守らない。いたずらに長くする傾向がある。もちろん面白ければ文句はないし、面白いものが長く続けば、嬉しいのは当然の話だ。だが、それが作り手の驕りであってはならない。作者は自分の作っているものがつまらないなんて思うはずもない。客観的評価は他者が下すもので、自分ではわからない。そこが問題なのだ。やりたいことをすべて詰め込めば監督は気持ちがいいだろう。だが、それはえてして独りよがりだったりする。難しいのはそのへんのバランスのとり方であり、どこまで客観的に見れるのか、ということだ。その点この映画は素晴らしい。
弟が出来るのではないか、という誤解からあの手この手でそれを阻止しようとするニコラの奮闘ぶりを縦糸にして、父親の昇進を巡る奮闘をそれに添わせる。親子でなんかやってることの間抜けさはよく似ているのが微笑ましい。大人も子供も根本的には同じようなものなのだろう。ラストの、これまた定番のオチも悪くはない。何も特別なことはいらないのだ。あっと驚くラストなんか、この映画に誰も望まない。僕たちは反対にホッとしたいのだ。子どもたちのいたずらを見ながら、優しい気分にさせられることこそ、望むところだ。