
アグリーの芝居はすべて見ている。15年。解散からすでに14年になるのか。だからこれを見逃がすわけにはいかない。彼女たち(アグリーは樋口、池田の作、演出コンビだった)の芝居は信愛時代から見ている。劇団は95年3月『誰もが手にしたるもの』で活動を開始した。
作、演出の樋口さんが再びアグリーダックリングを取り上げる。アイホールが終わるから。だがそんな感傷からこの作品は立ち上げられたわけではない。
15年間の作品のダイジェストでもない。膨大な作品群を網羅してその象徴的な台詞の抜粋。ただリーディングだから対話ではなく独白になる。短い台詞で早いテンポで描かれる。MGMミュージカルの集大成『ザッツ・エンタテインメント』みたいなものかと予想したが、そんなカーニバルとは一味違う世界が展開する。チラシには「戯曲のコラージュやメドレーなんてアリなんだろうか」とあるがアリだ。
全体を2作品にした。オリジナルメンバーを中心にした「初期」編とアグリーを知らない若手による「変革期」編の二部作。2本で完結する。
舞台奥の扉が開いて芝居は始まる。明るい陽射しがホールに差し込む。そして再び扉が閉じられた時、完全な闇が訪れる。長い暗転の後、ふたりの少女が客席後方から登場する。彼女たちはこれからここで展開する夢のような時間を目撃する。
幾つもの記憶の断片の積み重ねを見守ることになる。役者たちは黒に統一した衣装、同じく黒い紗幕の裏でアグリーのたどった歴史を彩る90年代の幾つもの作品をみせる。懐かしいメンバーが初期作品をコラージュした。
続く「変革期」編は空間デザインは白をベースにして、役者たちは色鮮やかで自由な服装である。引用される台詞も細切れではなく長い。0年代が背景になる。たまたま(?)2011年3月解散。
芝居が終わった後のロビーはアグリーの同窓会みたいになったアイホール。そこで久しぶりに会ったさまざまな人たちと立ち話をしながら、この作品のことを思う。樋口さんは高校時代から30年以上の歳月が経つことを冷静に受け止めながら、感傷に耽ることなく、ここから始まる「何か」をこの作品に込める。だから、後半の若い世代の子たちによる「変革期」編がよかった。もちろん共に戦ってきた仲間たちとの「初期」編もいい。だけどここには後ろ向きのレクイエムのような感傷がある。だからこそ、ここには立ち止まることのない短いコラージュを詰め込んだ。
作品の背後の時代を象徴する出来事を字幕で見せるが、それにはあまり効果はない。この作品と劇団が駆け抜けた時代がリンクして何かを伝えるわけではないのは少し残念だが、見事にふたつの作品は対になって完結し、アグリーという宇宙を形作る。
わかる人にはわかるけど、わからない人にも伝わる。ひとつの熱気とその先に向かっていく想い。個人的な感傷には終わらせない覚悟がそこにはある。