習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『カラフル』

2010-08-31 22:21:09 | 映画
 森絵都の小説の映画化。これで2度目となる。前作は中原俊監督による実写映画だったが、今回はなんとアニメーションによる映画化だ。『河童のクーと夏休み』の原恵一監督が、この、アニメにはまるでむかない素材を、わざわざアニメとして映画化する。どう考えてもこれはアニメにする必要性がない。手間ばかりがかかり、なんのメリットもない、と思われた。だのに頑固にアニメで、このなんでもない日常のスケッチを丹念に見せていく。すると、そこになんとも言い難い雰囲気が生まれる。

 実際映画が始まり、最初の天界にシーンはともかくとして、地上に戻ってきたところから以降はアニメである必要性が一切ない。話は冴えない中学3年の少年、真の日常のスケッチでしかないのだから、アニメでしか描けない部分なんか皆無だし、反対にアニメであるがために必要以上の手間ばかりがかかる。思った通りだ。

 だが、それでも、この何の変哲もない風景に中に展開する日常を丹念に追いかけていくことから、徐々にこの世界の閉塞性が際立ってくることに気づく。『カラフル』というタイトルとは裏腹に、この映画はいつもモノトーンだ。どんよりした曇り空や、雨。そんな中で、主人公の少年は自殺後の時間を過ごす。死んでしまった少年の体に入った主人公が、彼として生きる数カ月が描かれていく。彼は「修業期間」の後、この体から離れていく予定だ。猶予は半年以内。その時間の中で彼は自分の罪を思い出し、この少年の人生をいかにやり直すのか、が描かれる。

 ドラマチックな展開はない。それどころか、まるでテンションは下がりっぱなしだ。この映画大丈夫かと心配になるほどだ。初めて友だちが出来る。入試に向けて努力する。家族が彼のことを心配してくれる。どこにでもあるような、心温まるエピソードが綴られる。だが、それをことさら強調し感動的に描くことはない。それどころか、ただ、日常に流されるように、描かれる。この映画の魅力は、実はそこにあるのだ。

 彼の自殺の原因は、好きな女の子が中年のオヤジとラブホに入って行ったのを目撃し、その直後同じラブホから母親がフラメンコ教室の先生と出てくるのを目撃したから、ではない。もちろんその日の夜、彼は自殺した。だからそれらは原因のひとつではあるのだが、それらはただの引き金でしかない。自分が生きるこの世界に対する絶望が根底にある。だから、それらはその象徴でしかないのだ。人間は、人のために死なない。自分のために死ぬ。彼は人生にただ絶望したから死んだのだ。

 そんな人生をまたやり直しさせられる。世界が灰色であるのは、当然のことだろう。もし人生をリセットできるならば、今度こそうまくやる、と誰もが思うはずだ。山本甲士の『戻る男』はそこをテーマにしていた。この映画はある種その変型バージョンだ。1度死んでよみがえり別人として生きてみる。だが、最悪の別人生で、こんなことなら、今は記憶にはない以前の人生の方がましではないか、と思ったかもしれない。

 荒唐無稽な展開はない。設定以外に。謎ときとなるラストも含めて、まるで淡々としたままだ。どこにも盛り上がるようなシーンを設定しない。だから、この映画は面白い。なんとも不思議な映画である。だが、この映画のトーンは実写では作れない。実在する町を舞台にして、そこをアニメで丹念に描写していくことから、再び人生を生きることとなった男の別人としての「同じ人生」というファクターを作成することに成功したのかもしれない。2時間7分という長尺になったのは、つまらない日常を丁寧に追いかけたからだ。そのつまらないはずの日々がこんなにも愛おしいことに終わってみて、初めて気づく。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『大洗にも星は降るなり』 | トップ | 『ハナミズキ』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。