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映画・演劇のレビュー

劇団往来『チンチン電車と女学生』

2014-06-24 22:00:26 | 演劇
 初演以上に華やかで、ショーアップがなされた超大作としてよみがえる。歌と踊りを随所に織り込み、休憩10分を挟んでの3時間に及ぶ作品になった。総勢70名に及ぶキャストで贈る往来創立30周年の記念作品だ。初演も見ているが、今回、前作を超えた。

 それは前以上に派手になったから、ではない。そういう意味では別に変りはない。変ったのは、そこではなく、描くべきことをさらに明確にしたことだ。16人の少女たちがお国のためにどう生きたのか。彼女たちの必死さがちゃんと伝わってくる作品になっているのが成功の理由だ。

 「もしも私がお母さんになったら」と歌われる。そのフレーズが心に残る。ここはこの作品の重要なイメージだ。「お嫁さん」ではなく「お母さん」であることがここでは何より重要なファクターとなる。彼女たちの願いは、次の世代に命をつなぐこと。まだ、恋愛も知らない少女たちが、広島電鉄が設立した家政女学校で学びながら、働く。貧しい家庭の子弟である彼女たちにとって授業料免除であるばかりではなく、給料まで貰えて学べることは最大の魅力だった。頑張ってこの学校に入学した。そこで、たくさんの同じような環境の少女たちと出会い、最初はいがみ合いながらも友情を深めていく姿が描かれていく。それが迫りくる戦争の影に怯えながら、でも、たくましく生きていく姿として描かれる。群像劇なのだが、中心になる少女たちを明確にして、彼女たちの視点からドラマが進むのがいい。

 クライマックスは広島に原爆が落ちた日だ。だが、この作品はその瞬間の悲惨は描かない。その直前で止まる。わかりきったことではなく、そこに至るまでの彼女たちの生き生きした姿こそが眼目なのだ。

 現代からスタートして、あの頃を振り返るというスタイルを取る。老人が孫娘に自分たちが生きた時代を一冊の日記帳を通して伝える。少女は70年以上前の古いノートを読みながら、おじいちゃんの青春時代を追体験していく。それはおじいちゃんが好きだった少女の日記だ。あの日広島で彼女はチンチン電車の運転手をしていた。彼女と戦後を一緒に生き抜く人生がその瞬間失われた。

 あれもこれもと、なんとも欲張りな芝居である。そこが前回は惜しいと思ったのだが、今回は基本の構成は同じだが、主人公の視点に定めて見ることができたのがよかった。その一点で作品はこんなにも心に響くものとなった。


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