
森田芳光監督の『武士の家計簿』の続編をねらった企画なのだが、前作自身がそれほどのヒットではないのも関わらず、どうしてこういう企画が立ちあがったのか理解に苦しむ。当然興行は苦戦を強いられる。正月の劇場はとても空いている。年配の観客ばかりであるのは、仕方ないことだが、これだけの大作なのに、こんなにもお客が少ないのは、なんだか哀しい。最近、こんな感想ばかりでそれにもがっかり。せっかく丹精込めて作った映画なのだ。たくさんの観客を集めて、みんなを幸せにして欲しい。
とてもいい映画だ。もちろん森田映画のようなウイットに富んだ作品ではない。あまりに真面目すぎて、途中から、退屈する。でも、朝原雄三監督は全身全霊でこの映画を誠実に作る。『釣りバカ日誌』シリーズを作って来た彼が、自分の企画ではないだろうけど、でも、とても刺激的で、創作意欲をそそられるこの大作映画を任され、きっとこれは人生最大の勝負となる。ここで失敗は許されない。彼にとって大きなターニングポイントとなる作品だ。
出来あがった映画は期待にたがわぬ作品になった。とは言え、まるで笑えないし、話は途中から、包丁侍の話からお家騒動へとスライドして、この映画は何がしたいのか、と戸惑う。でも、そのことも含めてそれはこの映画の生真面目さの証左なのだ。全体としては、無理せずちゃんとこの大作をドライブする。だが、クライマックスが刀での斬り合いでは拙い。
ということで、「でも、それは拙いよ」と、わかっているから、ちゃんともとのところへと舵を戻す。ラストの満漢全席(ではないけど)は圧巻だ。でも単純に「饗応の宴」を成功させるか否か、という話ではなく、成功するのは最初からわかっているから、その宴の幸福感をどうラストに繋げるかが作品の肝となる。そこを鹿賀丈史にしゃべらせるだけでは、物足りない。食の幸福を主人公の包丁侍自身がちゃんと実感することで、この映画は完結する。
主人公は高良健吾と上戸彩。比重は上戸彩演じる嫁の方に置かれるのだが(それで最後まで押し通すほうがよかった)、後半、高良健吾の方へとスライドしていく。それが前述のお家騒動なのだが、侍にとって一番大切なのは、刀か包丁か、という究極の選択をドラマの核心に据えて見せて欲しかった。「当然、刀でしょ」ではこの映画は成り立たない。高良健吾自身がちゃんと刀から包丁へと自分の意志で選んで欲しかった。嫁に刀を盗られて、ではあかんやろ。
導入部から前半戦までは想像(最初はただの二番煎じでしかないのではないか、と思った)以上の出来で、この映画はもしかしたら傑作かも、と期待させただけに後半の展開が惜しい。
とてもいい映画だ。もちろん森田映画のようなウイットに富んだ作品ではない。あまりに真面目すぎて、途中から、退屈する。でも、朝原雄三監督は全身全霊でこの映画を誠実に作る。『釣りバカ日誌』シリーズを作って来た彼が、自分の企画ではないだろうけど、でも、とても刺激的で、創作意欲をそそられるこの大作映画を任され、きっとこれは人生最大の勝負となる。ここで失敗は許されない。彼にとって大きなターニングポイントとなる作品だ。
出来あがった映画は期待にたがわぬ作品になった。とは言え、まるで笑えないし、話は途中から、包丁侍の話からお家騒動へとスライドして、この映画は何がしたいのか、と戸惑う。でも、そのことも含めてそれはこの映画の生真面目さの証左なのだ。全体としては、無理せずちゃんとこの大作をドライブする。だが、クライマックスが刀での斬り合いでは拙い。
ということで、「でも、それは拙いよ」と、わかっているから、ちゃんともとのところへと舵を戻す。ラストの満漢全席(ではないけど)は圧巻だ。でも単純に「饗応の宴」を成功させるか否か、という話ではなく、成功するのは最初からわかっているから、その宴の幸福感をどうラストに繋げるかが作品の肝となる。そこを鹿賀丈史にしゃべらせるだけでは、物足りない。食の幸福を主人公の包丁侍自身がちゃんと実感することで、この映画は完結する。
主人公は高良健吾と上戸彩。比重は上戸彩演じる嫁の方に置かれるのだが(それで最後まで押し通すほうがよかった)、後半、高良健吾の方へとスライドしていく。それが前述のお家騒動なのだが、侍にとって一番大切なのは、刀か包丁か、という究極の選択をドラマの核心に据えて見せて欲しかった。「当然、刀でしょ」ではこの映画は成り立たない。高良健吾自身がちゃんと刀から包丁へと自分の意志で選んで欲しかった。嫁に刀を盗られて、ではあかんやろ。
導入部から前半戦までは想像(最初はただの二番煎じでしかないのではないか、と思った)以上の出来で、この映画はもしかしたら傑作かも、と期待させただけに後半の展開が惜しい。