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習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

Emotion Factory 『銀の扉』

2012-02-06 20:27:10 | 演劇
 謎の住人が2か月ほど前に引っ越してきた。彼はここに住む訳ではなく、ある女性とここで定期的に会うためにこの部屋を借りたようだ。この芝居は、そんな2人を巡るお話である。

 彼らが逢い引きするための部屋が舞台となる。もちろんこれはただの逢引きではない。それはすぐにわかることだ。ここには2人を巡るたくさんの人たちが入れ替わり立ち替わりやってくる。そこに、このアパートの住人たちもが絡んできてのドタバタが描かれる。芝居のスタイルはなんとも懐かしいような古くさい芝居だ。とても今の時代の感覚ではない。12年前に書かれた芝居の再演であるということも影響しているのだろう。でも悪くはない。

 隠れ里のような場所。誰もがそんな空間を持ちたいと望む。今ある現状に不満があるわけではない。だが、ほんの少し息抜きがしたい。そのための空間があればいい。そこにいれば、自分は別の自分としていられる。
とあるおんぼろアパート。そこに部屋を借りる。そこで生活するのではない。時々そこに行き、窓から見える景色をぼんやり見て過ごす。そんな時間が欲しい。つげ義春の漫画で何度も描かれた風景だ。この芝居を見ながら、そんなことを思った。もちろん主人公の男女はそんなことのためにこの部屋を借りたのではない。彼らの問題はもっと切実だ。だが、そんな切実な問題ですら、その程度の感傷と変わらない。そんな気分にすらさせられる。

 このアパートの住人は様々だ。今時こんなアパートってあるのだろうか。僕にはよくはわからないけど。ここは様々な事情を抱えた人々の吹きだまり。学生がいたり、おかまやら、水商売の女性に、ふつうの女の子の一人暮らし。さらには先に書いたなんとなくここを隠れ里とする男性もいる。こういう人間模様も含めて全体が構成される。よくあるパターンなのだが、それがあまり活かされていないのが残念だ。主人公2人の問題だけでよかったのに、敢えて彼らを語り部にしたり、彼らを絡ませたりした意味がわからない。こうする理由があるとするのなら、それは主人公2人も含めてこの空間自体がこの芝居の主人公だ、ということだろうか。でも、それならこれは群像劇とならなくてはいけないだろう。そうはまるでならないのだから、そこにはテーマはない。

 臓器移植を巡る話であることが、かなりすぐにはっきりする。ドタバタありのミステリアスな展開から、すぐにシリアスな主人公2人を巡るドラマへとシフトチェンジされるのは悪くはない。

 だが、クローズアップされた故人と残された妻のお話がそれ以上先に進まない。鶴留真由さん演じる主人公の心の空洞を描かなければこの芝居には意味がない。彼女を助けたいと思う菊池潤さん演じる男にしてもそうだ。彼は同情からだけではなく、もっと複雑な思いを秘めているはずだ。擬似恋愛のようなものが確かにあったはずだし、だから彼女のことを妻には言えなかったのだ。だが、これは決して浮気ではない。人助けであることは確かなのだが、それを妻に言えなかったのは自分の中にある仄暗い想いにうしろめたさを彼は感じたからだ。そこのところをちゃんと描かなくてはこの芝居は成立しない。

 その一番大事な部分をおざなりにしては意味がない。そういう意味で、作り手には、これが臓器移植を扱った作品であることなんかよりもまずはこれは屈折した「恋愛ドラマ」であることをちゃんと認めた上で、その設定の中で出来ることを、丁寧に見せきってもらいたかった。きっと脚色、演出を担当した猪岡千亮さんの気真面目さが仇になっているのだろう。それにしても、これではなんだかバランスが悪すぎる。

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