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映画・演劇のレビュー

『Xメン ファースト・ジェネレーション』

2011-06-16 22:48:51 | 映画
『Xメン』シリーズの最新作だ。アメリカ映画は飽きることなくこの手のヒーローもののコミックを映画化し続ける。その中からは時々はっとさせられるようなものも登場するが、大多数はゴミだ。今回、前作『ウルヴァリン』で気を吐いたこのシリーズが再びスピンオフ企画に挑む。これはXメン誕生秘話とでもいうべき1編だ。監督は自主制作の低予算映画『キックアス』でこのジャンルに新境地を開いたと言われるマシュー・ヴォーン。今まで見たことのないようなメジャー大作のヒーローものが誕生することを期待した。

 歴史を遡る。1944年ポーランドから、お話はスタートする。戦時下、ミュータントを軍事兵器として、利用しようとするナチスの将校をケビン・ベーコンが演じる。彼がすべての元凶となる。このオープニングはなかなかおもしろいのに、気付くと、いつものワンパターンの中に収まっていく。ナチとか、ソ連とか、キューバ危機とか、リアルな話を背景にしながら、それがここまで生きてこないのはなぜか。結局、それが「正義のミュータント対悪のミュータント」というなんら代わり映えのしないいつものワンパターンの中に収斂するからだ。

 前作『ウルヴァリン』では、主人公を1人に限定し、彼がミュータントであることの哀しみとどう向き合い闘うのかを描いたのだが、今回、同じように主人公を2人(要するに、小人数ということだ)に限定し、彼ら2人の視点からだけで、話を展開させようとしたはずなのに、いつのまにか、個の視点が、あやふやになり、善悪の戦いという図式に戻る。これではがっかりだ。

 結局この手の作品に必要なのは、派手なSFXではなく、どこまで人間を描けるのか、という当たり前のことなのだろう。そういう意味でこれはいつものような失敗をしている。目新しいものを目指したはずが、こんなにも単純なワンパターンに終始してしまい、ありきたりのヒーローものの出来損ないとなる。なんとも最悪のパターンである。

 どうして、こんなことになったのだろうか。プロデューサー・サイドからの要請で監督が好きなようには撮れなかったのか。それとも単純に構成ミスなのか。よくわからない。だが、これは集団全体を主人公にしたならつまらなくなるタイプの作品なのは、重々わかっていたはずなのに、どうしてこうなったのか。これが『Xマン』ではなく、『Xメン』だから、仕方がないことなのか。


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