
小泉堯史監督の新作だ。今時、フイルム撮りしている。貴重な映画、というよりもアナクロ(アナログ)過ぎる、と言われそうだ。経費も嵩むし、フイルムはどうしても淡くなり、シャープじゃない、とか、文句言われそうな時代になった。でも、頑なにそこにこだわる。昔ながらの活動屋なのである。だって彼は黒澤明の直伝の愛弟子だ。
映画自体も彼のための映画、としか言いようのないものだ。師匠と弟子のお話、と読むことができる。そう読んで欲しい、という。役所広司が黒澤で、岡田准一が小泉監督である。偉大な師匠の後を継ぐ立派な弟子、という図式だ。恥ずかしくなりそうなその設定を真摯に受け入れて、恥じないような映画を作る。これこそが、プロだ。
もちろん、そんな裏目読みは、この際、無用である。このお話自体をそのまま受け止めるといい。今の時代に、こういう武士道とか、ありえないと言われそうなことは、重々承知の上で、だからこそこれを真正面から突き付けてくる。小泉監督は、大仰にではなく、自然に、この設定を見せる。メッセージとか、テーマとか、そんなのはどうでもよろしい。見ればわかる。
10年間の人生を穏やかに生きる。残された時間の中で、自分のやるべきことをこなす。焦るでもなく、慌てるでもなく、ただ、ゆっくりと、毎日を楽しみながら、与えられた仕事に邁進する。10年が長いか、短いか、ではない。理不尽なことを恨まない。静かに受け入れて、最期の瞬間を迎える。その時の彼の清々しい姿を目に焼き付ける。観客である僕たちが、ではなく、家族が、である。もちろん、僕たちもお相伴に預かる。いい映画を見た。それだけで、生きる活力がわいてくる。
映画自体も彼のための映画、としか言いようのないものだ。師匠と弟子のお話、と読むことができる。そう読んで欲しい、という。役所広司が黒澤で、岡田准一が小泉監督である。偉大な師匠の後を継ぐ立派な弟子、という図式だ。恥ずかしくなりそうなその設定を真摯に受け入れて、恥じないような映画を作る。これこそが、プロだ。
もちろん、そんな裏目読みは、この際、無用である。このお話自体をそのまま受け止めるといい。今の時代に、こういう武士道とか、ありえないと言われそうなことは、重々承知の上で、だからこそこれを真正面から突き付けてくる。小泉監督は、大仰にではなく、自然に、この設定を見せる。メッセージとか、テーマとか、そんなのはどうでもよろしい。見ればわかる。
10年間の人生を穏やかに生きる。残された時間の中で、自分のやるべきことをこなす。焦るでもなく、慌てるでもなく、ただ、ゆっくりと、毎日を楽しみながら、与えられた仕事に邁進する。10年が長いか、短いか、ではない。理不尽なことを恨まない。静かに受け入れて、最期の瞬間を迎える。その時の彼の清々しい姿を目に焼き付ける。観客である僕たちが、ではなく、家族が、である。もちろん、僕たちもお相伴に預かる。いい映画を見た。それだけで、生きる活力がわいてくる。