
個性派俳優の佐藤二朗(こういう言い方しか出来ないなぁ)が、監督した作品。第1回監督作品であり、その後、まだ次回の監督業はしていない。何よりもまず、これは彼が、どうしても、これだけは撮りたかった、そんな作品なのだろう。そのとてもわがままな作品が、ちゃんと1本の映画として完成して公開されたって、凄い。
彼らしい作品になっている。自分の趣味を押しつけるのではなく、さりげなく提示した。そんな控え目さがいい。でも、けっこう好き放題している。せっかくのチャンスなのだ。思い残すことなく、すべてをここに詰め込もうという意気込みがちゃんと伝わってくる。
自身の強迫性障害の体験をもとに、心の病を抱えたある女子高生の毎日を描く。そこには説明は一切ない。ただ彼女の奇異にも見える行為を淡々と描いていくばかりだ。周囲との関係もあえてストーリーを追う展開は避けている。
それはいつも突発的に起こる。メモを取らなくては、自分を抑えることができないし、そのせいで自分を傷つけることもある。いつもペンとノートを手放せない。あり得ない、と思う。でも、そういうものなのだ。僕たちにはわからない事実がそこにはある。それを強調するのではなく、きっとありのままに描いたのだろう。
そんな彼女のある日の出来事だ。いつも通りに帰宅すると、家には見たこともない「へんなおじさん」がいる。実は彼は外国にいた父の弟だ。だから、ほんとうの叔父さん。彼は彼女と同じような病気を抱えている。(もちろんその叔父さんは佐藤自身が演じる)彼と出会い、彼女は改めて自分というものを見つめ直していく。
でも、映画はそんなふたりの出会いと別れを感動的に描くのではない。確かに、ふたりの交流は描かれるし、彼女は叔父の死を受け止め、変わらなくては、と思う。それはとても単純なお話の展開なのだが、そこにこそ、佐藤監督の意図がある。
ドラマチックを排して、でも、その核心にあるものだけはストレートに伝える。どうしても言いたいこと、描きたいことがある。そんな真摯な願いがこの映画を支える。決して上手い映画ではない。だいたいそんな野心はない。ただ、作りたかった。伝えたかった。それだけ。でも、それだけであることが、こんなにも気持ちいい。
彼らしい作品になっている。自分の趣味を押しつけるのではなく、さりげなく提示した。そんな控え目さがいい。でも、けっこう好き放題している。せっかくのチャンスなのだ。思い残すことなく、すべてをここに詰め込もうという意気込みがちゃんと伝わってくる。
自身の強迫性障害の体験をもとに、心の病を抱えたある女子高生の毎日を描く。そこには説明は一切ない。ただ彼女の奇異にも見える行為を淡々と描いていくばかりだ。周囲との関係もあえてストーリーを追う展開は避けている。
それはいつも突発的に起こる。メモを取らなくては、自分を抑えることができないし、そのせいで自分を傷つけることもある。いつもペンとノートを手放せない。あり得ない、と思う。でも、そういうものなのだ。僕たちにはわからない事実がそこにはある。それを強調するのではなく、きっとありのままに描いたのだろう。
そんな彼女のある日の出来事だ。いつも通りに帰宅すると、家には見たこともない「へんなおじさん」がいる。実は彼は外国にいた父の弟だ。だから、ほんとうの叔父さん。彼は彼女と同じような病気を抱えている。(もちろんその叔父さんは佐藤自身が演じる)彼と出会い、彼女は改めて自分というものを見つめ直していく。
でも、映画はそんなふたりの出会いと別れを感動的に描くのではない。確かに、ふたりの交流は描かれるし、彼女は叔父の死を受け止め、変わらなくては、と思う。それはとても単純なお話の展開なのだが、そこにこそ、佐藤監督の意図がある。
ドラマチックを排して、でも、その核心にあるものだけはストレートに伝える。どうしても言いたいこと、描きたいことがある。そんな真摯な願いがこの映画を支える。決して上手い映画ではない。だいたいそんな野心はない。ただ、作りたかった。伝えたかった。それだけ。でも、それだけであることが、こんなにも気持ちいい。