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映画・演劇のレビュー

浪花グランドロマン『親愛なる凹と凸へ』

2015-04-29 16:53:54 | 演劇

NGR史上初の試みである。演出がなんと浦部喜行さんの手を離れたのだ。劇団創設25年目にして、これは彼以外が演出を手掛ける初のNGR作品となる。劇団の若手、細川愛美(25歳、ということはこの劇団の誕生した時に生まれている)が作、演出を手掛ける。今までのNGR作品とはまるで肌合いの異なる作品が生まれた。だが、それにも関わらず、これは確かに浪花グランドロマンではないか。そう思えるのが凄い。

今では老舗劇団になったNGRだが、頑なに守り続けるのは、その泥臭さで、そんなのを守らなくてもいいじゃないか、と思うけど、気がついたらやはり、そういう作品になっている。アングラだけではなく、今までさまざまなジャンルにも挑戦してきた(自分で書いておいて何だが、アングラってジャンルなのか?)が、いつだって、そうだった。泥臭さというか、人間臭さというか。スマートであることを頑なに拒絶して、何をやってもどんくさいまでもの強情さで。

どうしようもないまでに、そこには人間に対する信頼と愛情が溢れる。そんな人のよさが、彼らのよさで、魅力なのだ。いくつもなっても変わらないこと。それは毎年、年に2回の公演もそうだ。2月には劇場で、秋にはテントで興行して、という年間スケジュールもそうだ。(イレギュラーでアトリエ公演を組み込む時もあるけど。)

今回の細原作品も、同じだ。まるで浦部作品とは似ていない。(もちろん、もうひとりの作家である安倍枕流[福島祥乃介]作品とも似ていない)でも、この生真面目さはNGRだと言える。

とてもかわいらしい作品だ。女の子らしさを前面に出す。もちろんそこはねらいどころではない。彼女が自分の興味の赴くままに書いたらそうなった、ということだろう。

2人の少女の内面が交錯する。お話はある少女の内面のはず。でも、それはもうひとりの少女のドラマで、ふたりは別々の人格なのに、同じお話の中で共存する。これはエリが見たユキの夢だ。そういう構造が新しいのではない。同じ場所で生きる(同じ世界と言ってもいい)別々の女の子の内面がこんな形でリンクしていく不思議に新鮮な驚きを感じる。

夢の中のお話という構造をここまで、意図的に援用した作品もめずらしい。夢オチは最悪なのだが、この世界はすべてが夢ではないか、思うと、夢のような時間をどこまでも追求したなら、リアルの感触に迫れるのではないか、なんて思わせるくらいにこの作品が描く夢の感触は心地よい。

7人の小人やら(5人だけど)、眠る白雪姫なんていう設定も、ただの童話の援用にはならない。ちゃんと、作品世界に組み込まれている。これは誰が見た夢なのか。この繰り返される悪夢は何なのか。その帰結点のあまりのあっけなさが、この作家のしなやかさを証明する。気負うことなく、確かな自分をそこに立ち上げて、さらにはちゃんとNGRという集団の本公演作品として成立させる。別々の場所で生き、まるで他人である(あまり付き合いすらない)ふたりのドラマを通して、今を生きる女の子の内面にこんなにもさりげなく迫る。これは凄いことだ。

これだけのことを、ここまでしたたかにやられると、長老である浦部さんも、うかうかしてはいられない。

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