トレド定番のヴュースポットで古都を一望。
再びバスに乗車、旧市街への三つの橋のひとつ、新アルカンタラ橋を渡りピサグラ門の前でバスを離れ城壁を潜った、ように思う?
大聖堂に向かって、迷路のような細い路地をすたすたと歩くガイドの背中を追う。
独りでと言われても覚束ない路地、10年後個人旅行で再訪した折には随分と道を訊ねた。を、逸(はぐ)れないようについて歩く。
と、突然に大聖堂の前、左右を壁に挟まれた狭い広場(写真上)に着いた。
彼が困った案内人なのか、説明を聞き逃したらしき当方が困った客なのか、そこが大聖堂の何処になるのかさっぱり判らない。
案内書では、聖堂正面(写真下/左・右)に、「塔の扉」「免罪の扉」「公証人の扉」と呼ばれる三つの扉があるらしいのだが。
後から思うに、入口に大きな時計が架かっていたので、大聖堂に七つあるとされている門の中で、最古の「大時計門」と呼ばれる北側の扉から進んだよう。
何とも頼りない話だが、万事こんな調子で旅程をこなしていたような気がしないでもない。
マドリードの大司教座が置かれるトレド大聖堂、13世紀フェルナンド3世の時代に着工、15世紀に完成したという。
規模からいえばこれに優る聖堂、ヨーロッパ各地は勿論、スペイン国内にもセビリア大聖堂を始め幾つかある。
しかし、スペイン・カトリック総本山の矜持だろう、金色の鉄柵で囲まれた主祭壇とその後方で眩いばかりに輝く衝立、その祭壇に向き合って身廊中央で同じように鉄柵で仕切られた聖歌隊席とパイプオルガンなど、すべてが圧巻、折から差し込む初冬の陽光にステンドグラスが鮮やかに輝いていたことを覚えている。
時間が押しているのか急き立てられように次の目的地へ。
透明を意味する「トランスパレンテ」と称される装飾、聖具室に架かるエル・グレコ(1541-1614/マニエリスム)やバロック期の巨人カラヴァッジョ(1573-1610 /イタリア)の傑作などを素通り、消化不良で胸の辺りが痞(つか)え、嫌な心持ち。
この消化不良、10年後に<聖地コンポステーラ>への巡礼の帰途に再訪するまで痞えたまま、我ながら辛抱強い?
97年当時は銀沿フィルム、言い訳じゃないがいい写真が少ない。
で、10年後の07年、9月の厳しい日差しを受けて光と影のコントラストが鮮やかなトレドを、また、別の稿で紹介する。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.544