世の中は三日見ぬ間に桜かな (蓼太)
故事ことわざ辞典に拠れば、江戸中期の俳人の句らしいが、その意は、“ 三日外に出ないでいたら、桜の花が咲き揃っていた ” だとか。
今ではもっぱら、下五の「に」を「の」に捩(もじ)って、“ 世の中は三日見ぬ間の桜かな ”、あっという間に散ってしまう花に掛けて、“ 世間の移り変わりの早さ ” を表す場合に用いられるようだ。
春にしとしとと降る雨を春雨と呼ぶが、花の頃のそれは、美しくも “ 花散らしの雨 ” とも呼ばれるのだそうだ。
その春雨にしては、ここ暫くの間降るとの予報もあって、三月から四月、菜の花が咲く頃に降り続く時季があるそうだが、その菜種梅雨なのかも知れない。
差し詰め、“ 明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは ” (親鸞上人)を絵に描いたような塩梅。
土曜の夜や日曜に花を肴に一杯!と計画、お弁当などを用意された幹事さんならずとも、恨みのひとつも言いたいのでは、と思う。
斯く言う酔狂、春休みにR君兄弟と六甲山ハイキングを約束していたが、天候と同様体調が聊か不良なこともあって取り止めさせて貰った。
その代わりと言っちゃなんだが、雨の予報を嬉しくも裏切って、お日様が顔を覗かせてくれた土曜(4/3)の午前、月命日に二日ばかり早いが一緒に墓参。
墓園、枝振りは小さいがかなりの数の桜があって満開。
お茶の界に桜花を使うことがあるのか知らないが、太閤さんが醍醐寺の花の下で大茶会を催したこと程度は疎い酔狂でも知っている。
今頃、カタリナ も茶を点て、花を楽しんでいるかな? と思い乍ら掌を合わせた。
つい五日ばかり前、<春の夢>でアップした「ソメイヨシノ」も「オオシマサクラ」も、土曜の午後遅くから日曜の朝にかけての雨であっさりとお仕舞、葉桜にその姿を変えた。
昨日(4/5)は二十四節気のひとつ、清浄明潔にして青葉若葉が芽吹くという “ 清明 ”(せいめい)、躑躅(つつじ)も蕾をちらほらと見せはじめ、やがて皐月も賑やかに花弁を揃えるだろう。
“ 有為転変は世の習い ”、意は少し違うが “ 青天の霹靂(へきれき) ” とも言う。
辛抱強かった彼女が、「病院へ連れて行ってほしい・・・」と、か細く言った日がもう直ぐに来る。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.955
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