ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

で、誰を選ぶか? ‐ さらに・選ぶ

2017年10月06日 | 社会/世相

 公示を前に新生と自壊、寄生と排除の大騒ぎを経て、再生が加わる三つ巴、国民不在の茶番劇も、容(かたち)としては収まるべきところに納まったよう。

 昨日(10/5)の朝日紙(漫画も)、その自壊の張本人が、“ インタビューで、『衆院選に突っ込んだ場合、(獲得議席は)せいぜい40~50ではなかったか』と話し、合流を決断した妥当性を強調した ” とあった。

 この御仁、政権党の時代から偽メール問題やダム建設、献金問題など浅慮の人の印象があるが、落っこちたただのゴミの山になる恐怖が相俟って突き動かされたンだろう、多分。

 それにしても除名された連中を率いる緑のおばさん、供託金はいざ知らず、踏み絵をさせたうえ誓書を出せとは驕ったもんだ。

 とまれ、党が既成であれ新生であれ再生であれ、われわれ主権者がどう一票を行使するのか、その力が問われている。

  で、誰を選ぶのか? 昔から言われるのは “ やりたい人よりやらせたい人 ”、が、そのやらせたい人を見つけるのが意外と難しい。

 それに反して、やらせたくない人(党)を見つけるのは比較的容易、マイナス投票制度があればいいのだが、ないものねだりをしても仕方がない。

 で、やらせたくない人(党)を当選させないための人(党)を選ぶ、余り褒められた手法ではないが、詰まるところ小選挙区の選挙というのはそういうことでもある。

 まあ、不倫や暴言は許せるものの、住都公団口利き大臣、森友・加計、戦争法案、共謀罪、消費税、原発、トランプ追随、北朝鮮、etc. 安倍政治の五年間、どれひとつとっても選ぶべき人の姿が見えてくるように思うのだが、どうだろうか?
 一番いけないのは政治を諦めて棄権すること、投票は権利であるけれど次代への義務・責任でもある。

 ということで四回にわたって綴った “ 選ぶ ”、今回で最終回、余りの馬鹿ばかしさに少し疲れちゃった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1398


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