木枯らしの吹く日曜、カタリナ と散歩を兼ねて藤田美術館を訪ねた。
維新を経て明治と言う特異な時代を商才逞しく生き抜き、莫大な財を築いた藤田傳三郎らが蒐集した美術品を展示する。
その傳三郎翁が、卓抜な鑑識眼と潤沢な資金をもって買い集めた名作逸品。
国の重要文化財に指定された「菊花天目茶碗」や「白縁油滴天目茶碗」などの茶道具を誇る中で、一頭抜きん出るのが、南宋(12~13世紀)時代に焼かれ、「耀変」とも「窯変」とも称される「曜変天目茶碗」。
周の時代、浙江省の天目山の徳清窯で、鉄釉のかかった茶碗「天目」が盛んに焼かれたが、そのひとつとして、南宋のある時期、福建省の建窯で焼かれた「建盞(けんさん)天目」から数えるほどの「曜変(窯変)天目」が派生したとされる。
以後、二度と焼かれることは無かったとされ、現存が確認されているものは世界で僅か四点、または三点。のみで、その全てが日本にあるのが面白い。
徳川家光が春日局に下賜したことから、その子孫である淀藩主稲葉家に伝わり「稲葉天目」とも呼ばれ、旧三菱財閥の岩崎小弥太が入手した東京・静嘉堂文庫所蔵(国宝)。
もうひとつが、堺の豪商津田宗及から大徳寺塔頭龍光院に伝わった京都・大徳寺龍光院所蔵(国宝)。
さらに、加賀前田家に伝えられたもので、作家大仏次郎の所蔵を経て滋賀県・MIHO MUSEUM所蔵(重文)だが、同じ建盞天目から派生した「油滴天目」とする意見もある。
そして、家康の愛用品で光圀が賜り、代々水戸徳川家秘蔵だったとされる藤田美術館所蔵(国宝/写真:解説書から)。
この小振りな玉虫色の茶碗、曜変の斑紋が外側にも現れているのが特徴とされているらしいが、先の解説書に、“ 口縁には銀の覆輪、口は捻り返し、腰はややすぼみ高台は低く、小さいのは天目通例の形式 ” とある。
これらの名碗、焼かれた中国に残っていないのが謎とされているらしいが、カタリナが最近読んだ、「中国と茶碗と日本と」(彭丹著/小学館刊)に、“ 当時中国では、曜変 = 窯変はまがまがしい物、在らざる物とされてその場で壊されたが、その一部が持ち出されたのでは ” とあって「得心した」と言う。
彼の国のこと、そのうちに北京・故宮博物館あたりが、「返せ!」と言ってきそうな気がしなくもない。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.552
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