カタリナ が逝って50日の祈りをお願いしたミサから、今(12/27)帰った。
嬉しくも思いがけず、R君とI 君が母親とともにミサに与り、彼女のために小さな掌を合わせて祈ってくれた。
振り返れば年の初めのこと、遅らせていた墓参を、そして、その足で「蟹を食べに行こうよ」と言う。
ペトロ が、癌になる少し前、つまり一昨年の暮れから年明けにかけて無性に蟹が食べたくなったことがあって、そのことは、<蟹>(12/02/01)にも書いた。
それを覚えていたらしく、一年目の節目検診、なんと延べ四日間もかかった。を、無事に乗り越えたことを喜んでくれてのこと。
それに加えて、初釜、茶事中の茶事 “ 炉の正午の茶事 ” を、恙無く終えることができたことも、気持ちを弾ませる一因であったようだ。
それで、墓参の後、城崎温泉まで足を延ばし、団体客を容れないときわ別館で蟹を堪能した。
晩い春、夕日でカーテンが朱に染まる四人部屋で過した二週間。
酷暑の夏、蝉の声に起こされ、小鳥の鳴き声に耳を傾け、蛙の賑やかな合唱を子守唄に眠る、祈りとともに生きた四月間。
初秋、独りで暮らせるのか見極めるために帰ってきてくれた三十幾日間。
そして初冬、街の喧騒を蚊帳の外に、静かに染み入るように時が流れる。
ある日突然に別れることに比べれば、家族ともども闘った六月間は、神が与え給もうた奇跡だったのか。
この日辺りには大掃除も終えて、稽古始めの準備を楽しそうにしていた筈のカタリナを偲び、今年の “ ペトロとカタリナの旅を重ねて ”、年初に彼女が投稿した、<巳年の初釜>(13/1/28)でひとまず括る。
〈 素晴らしい持ち味の方々、改めて『皆さんすごいな』と嬉しく〈 なった初釜、和気あいあいのうちに終えることができた
〈 茶の心を感謝し、茶道の良さ、楽しみ、広がりを惜しみなく伝〈 えられる言葉と心をお与え下さいと祈る日々
〈 笑い声の絶えないお仲間のご健康とご家族の平安を祈りな〈 がら、二月からの稽古が始まる
ことさら意識することもなく,いつも其処にいる、傍にいてくれる、そんな思い上がりを微塵もなく打ち砕かれて暮れようとしている。
聊か季節はずれの趣をもって道端に残る「杜鵑草」(ほととぎす)と「野牡丹」。
降誕祭の日(12/25)、所用があって出掛けた道すがら、その素朴さを愛した女性(ひと)だった、と思いながらレンズを向けた。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.747