カタリナ が投稿したブログを読んでいて遣り切れなくなった。
それは、“ 続・ありふれた生活 ” と題し、昨年の5月4日にアップしたもの。
12年5月4日と言えば、カタリナが入院する丁度一年前のことになる。
少しなぞってみると、狭いベランダで育てていた蘭、“ 植え替え時を逸してそのまま年を越させてしまった。それでも綺麗に花を咲かせてくれたのもあった ” と始まっている。
ペトロ が癌で二回目の手術をし、八日間ほどで退院する筈だったのが腸管癒着を併発、思いもかけず二十日間ほども入院する破目になった頃のことだ。
咲かそうとしたものの鉢一杯に広がった株に邪魔され、上手く伸び上がれなかったようで、株の間で花芽を付けたまま、可哀相にも朽ちてしまったものもあったらしい。
カタリナの表現を借りると、“ わさわさと野放図に伸びた鉢植えの蘭、それに椿などが手入れを待っていた ” らしい。
で、五月の大型連休中の天気のいい日に、“ せめて鉢の中で根が溢れている蘭だけでも何とかしなければと、『せまっくるしかったねえ!』と声をかけて遣りながら、絡み合った根を、それこそ根気よく解(ほぐ)し植え替えた “ と書いている。
と、まあ、変哲もないありふれた日常が淡々と綴られているのだが、遣り切れない思いになってしまったのは、その後半。
六十代も後半になって疲れが尾を引くとこぼし、“ 要らない物は処分するよう心掛けているつもりだがなかなか思うようにいかない ” と嘆く。
迷惑を掛けないように、“ 気力が補ってくれる間に、遣れることは遣っておかなければ ” と述懐。
植木たちを眺め、“ 棺に入れて一緒に焼いて貰いたい物や父母の若い頃の写真などなど、旅路のお供以外のグッズは、元気なうちに片づけておかないとね、としみじみ思った ” とあった。
僅か一年半ほど前のその日の様子がよみがえり、胸が締め付けられる。
でも、“ 老いてはいられない ” と気負いも見せている。
そして、“ 連休後半は風炉の道具に入れ替えをしなくっちゃ! 取り敢えずは苦手の灰形づくりを遣らなきゃね、楽しい稽古が待っているもの ” と明るく括っている。
その心情を思い遣れば、健気にも哀れにも、思えてたまらなくなってしまった。
今夏、あるじ不在の間に枯らしてはならじ、と頑張った甲斐あってようよう咲いた<蘭一枝>、切って病院へ持って行くと、「咲いたの!」と顔を綻ばせ、萎れないうちにと写真に撮って<絵>にしていた。
ただ、カタリナが愛した植木たち、この秋冬を越させて遣れるのか、聊か心許ないのが辛くもある。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.740