ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

降誕祭を前に ‐ 想い出のカタリナ

2013年12月23日 | 想い出のカタリナ

 昨日(12/22)、待降節第四主日(日曜礼拝)のミサ、久し振りにメインである10時のミサに与った。
 この時間のミサは参列者が多く、人見知りする?ペトロ、最近は専ら7時のミサに与っている。

 この日は、カタリナ の50日祭の特別ミサの依頼。
 それに加えて、歳末のホームレスの支援に募っておられた毛布などの拠出に聊かでもお役に立ちたく、居宅介護の折に使った幾枚かのシーツを届ける用もあって、司祭館の事務所が開いている10時のミサに与った。

 例Aによって不心得なペトロ、ご聖体を拝領してそそくさとお御堂を辞したが、少し前をひとりの男性、H氏が歩いているのが目に入った。

 この夏、奥様を亡くした彼、U神父様に拠れば突然のことだったようだ。
 葬儀のミサ、7月の終わりに教会で行われたことは知っていたが、カタリナが闘病中のこととてお参りができなかった。

 H氏とは、夙川教会の入門講座に通い始めた頃に知り合った。
 時期をほぼ同じくして、主日(日曜礼拝)ミサの先唱を始めたこともあって、彼はどのように思っているか判らないが、同期生のような近しさを感じていた。

 ともに入門講座を学んだふたり、講師のSシスターからは、H氏は信徒の多くが就く事を避ける社会福祉活動委員長、ペトロは復活祭の徹夜ミサの先唱を担うまでになってくれたと、大いに喜ばれたことをつい先頃のことのように覚えている。

 話はそれたが、カタリナの通夜に来てくれ、「たまらなく淋しく、辛いよ」と言う彼が、寒風から身を守るように背を丸めて歩くのを見掛け、思わず遠くから「Hさん」と声を掛けた。

 彼Bは、クラシックカーに乗って教会に来るダンディな人。
 何時も、鴛(おしどり)のように仲睦まじく主日(日曜礼拝)ミサに与っていた。

 その彼、ブレザーの襟が捩れているいるのも構わず背を丸め、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、「突然だったからなあ、してやりたいことが一杯あったのに」と嘆く。

 そして、自嘲気味に、「鰥(やもめ)倶楽部でも拵えますか」と洩らし司祭館の方に去ったが、背を丸めていたのは風の所為ばかりじゃないよう。

 故人へのいたたまれない思い、やるせない気持ちが痛いほど胸に突き刺さり、何も言えなくなって教会の冬ざれの庭に独り立ち竦んでしまった。

 彼の背に向かって、「愛した人のため、勁(つよ)くならなくては・・・」と、自戒も込めて小さく呟くのがやっと。
 悲しくも遣り切れない、降誕祭を目前にした晴れてはいるが風がやたら冷たい日曜の朝だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.745

コメント
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