ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

あべこべ

2012年11月16日 | 日記

 木枯らしが吹く季節、鍋に少しぬるめの燗酒を友に・・・、“ 術後の食事、自制と自省に明け暮れる日々の身 ” と、書いたのが前回。

 少し前には、「<似て非なるもの>」で、“ 食べられると思って食べられない女と食べないと思って食べてしまった男 ” のことも書いたが、今回は、その両方の続き。

 Photo過食、過飲すれば覿面(てきめん)にリバウンド、この表現は正しくないか? 跳ね返ってくるのを知りつつも、つい食べ過ぎてしまう。

 尤も、酒は少量でも毎日欲しい型?だったが、今は週に一、二回、時には缶ビール一本を持て余すこともあって、呑兵衛の資格は残念ながら失ったよう。

 飲食であれ喫煙であれ、暦を幾度も還(まわ)る歳にもなれば、社会や他人様に迷惑さえかけなければの自己責任が持論、で、お気の召すままにだ。

 ただ喫煙は、主流煙よりも有害物質が多い副流煙など、周りの人への弊害が大きく、一昔前、飛行機内が全面禁煙になってから中断したまま。

 Photo_4そのペトロ、何を血迷ったか一念発起、「<元の木阿弥>」で、節食にこれ努め、“ 体重計を前に一喜一憂 ” とも書いた。

 カタリナ、過食をチェックしてくれているのだが、「一汁一菜で十分と、出来もしないことを嘯いてどこ吹く風の誰か、しっかりと食べた後で、「う~ん、美味かったけれど」と思案?
 どうも、する事と考える事の手順があべこべのよう。

 この日の夕食も、「残すと勿体ないから」と、誰かの所為にして見事に失敗。
 数時間経ってやってくるであろう、煩わしくも鬱陶しい状態を思い浮かべうんざり、自己嫌悪しきりである。

 高槻のNoさんが稽古に持ってこられた、秋桜にも似て素朴な「嫁菜」(よめな)、黄の「小菊」が色を添える。
 今月の生花の主材は華やかな「糸菊」、葉が小さく花びらが細い、管物(くだもの)と呼ばれる種のひとつだそう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.540

コメント
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