カラヴァッジョの 「慈悲の七つの行い」の主題はマタイの福音書です。
そこには、“ 個人がなすべき慈悲の行いは、私の父に祝福された人達、天地創造の時からお前達のために用意されている国を受け継ぎなさい。お前達は、私が飢えていた時に 「食べさせ」、喉が渇いていた時に 「飲ませ」、旅をしていた時に 「宿を貸し」、裸の時に 「着せ」、病気の時に 「見舞い」、牢にいた時に 「訪ねてくれた」からだ ” (マタイ25章)とあります。
それに 「死者の埋葬」の行いを加えたこの作品(上:全体)は、ミゼリコルディア同信会の依頼により、わずか数ヶ月のナポリ滞在中に圧倒的な知性と創造力によって描かれたとされています。
新約聖書略解では、“ 羊飼いが羊と山羊を選別するように、イエスが選ばれし者と呪われし者とに選別し裁きを行う ” とあります。
また、“ その選別は一貫して、イエスから派遣される小さき者、即ち伝道者の宣教をどのように受け止め、どのように遇したのかが問われるのだ、とマタイは説いた ” ともあります。
この慈悲の行いをなしたかによって、イエスによって裁かれる終末、つまり、 “ 最後の審判 ” に重大な関わりを持つのだと教えたのです。
構成は、上部に、カラヴァッジョ好みで幾つかの作品に登場する女性レーナに似た聖母子と二天使を描き、その一人が身を乗り出し登場人物をふたつの部分(中:部分)に分けています。
その意味は、右部の死者を運ぶ男性と道標として松明を灯す司祭によって死者の埋葬を。
娘ペロが父キモンの餓えを癒す為に母乳を与える囚人の慰問、食物の施与(下左:部分)を示しています。
左下部、暗い背景の中にうずくまりながらも上方を見上げる若者は、病気の治癒(下左:部分)を示しています。
左部の暗い路地では、宿屋の主人が三人の異邦人(下右:部分)を迎えています。
中央で杖を持つ中年男は、帽子にヤコブの貝殻とペテロの鍵のアトリビュートをつけていて巡礼者の歓待を。
右の若い将校は裸の背中の男に外套を与える聖マルティヌスで、衣服の施与を示し、左のロバの顎骨から水を飲む男は、旧約聖書の士師サムソン、飲物の施与を示しています。(参照:アートライブラリー)
作品全体に深い陰影を落とす光彩の使用、さらには、薄暗い聖堂の揺らめく蝋燭の僅かな光によって、祭壇画を見る者、即ち信者に、より強い ” 慈悲 ” と ” 法悦 ” を与えたことでしょう。
ただ、今の聖堂は採光がよくって画面全体が白っぽく光り、制作意図が半減するのではと首を傾げてしまいました。()
楽しかった時間も過ぎればあっという間、これでナポリともお別れ、明日の午後エウロスター・ESでローマに戻る。ナポリ歴史地区のことやポンペイのことなどはまたの機会に。()