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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ディープ? ‐ 3月がきた

2016年03月02日 | 季節/暦

 わが愛機、オペレーティングシステム、つまりOSが Windows8.1。
 半年ほど前から起動の度に、“ Windows10 に無償アップグレード ” と、お誘いのダイアログボックスが現れて鬱陶しく、その余りのしつこさに 「絶対換えるもンか!」と、詰まらないことに依怙地に。

 ところがその愛機、持ち主に似たのか最近になって頓(とみ)に動きが緩慢。
 短気な爺さんイライラし乍ら、効果は乏しいことを承知の上で、プリインストールされているものの一遍も使ったことのないアプリを片端からアンインストール。

 この日も、ブログでもと PC に向かえば、“ ねえ、そろそろ10 にすれば、もう一億人の方が換えたわよ ” なんて呑み屋さんのお姉さんみたく艶然?とお誘いが。

 半年も我慢をしたのに、魔が差すとはこんなことを指すのだろうか。
 この日も何が不満なのか駄々をこねる相棒に嫌気が差し、ついダイアログを開いたら、“ あなたの PC、10 に換えたらどんな影響があるか調べてあげる ” なんて、心内を見透かしたような惹句が。

 よく考えずに飛びつく癖のある僕(やつがれ)、その夜も、拍子で OK をクリックしてしまった。
 待つこと20分ほどだったか、“ 影響はまったくありませんよ~ ” と、念押しをされてしまった。

 えい、こうなったらやってまえ、とダウンロードのボタンをクリックしたのが  「NHKのNEWS WEB」が始まる23時30分も過ぎた頃。
 そのダウンロードの長いこと、日付もとっくに変わり眠さも手伝ってええ加減うんざり、「キャンセルするか!」と思い始めた頃、“ 終わったよ~ ” の知らせ。

 で、結果はどうだったのかって?
 サクサクと動き出したのは結構なんだけれど、肝心のブログの画像編集機能がNG、「Oh my God、なんてこった!」。

 結局、Windows10 のデフォルトブラウザ 「Microsoft Edge」を諦めるまでにまた数時間。
 寝ぼけ眼で朝一番のニュースを視れば、気象予報士は 「週半ばから四月並み」 と、まるで春と生命をもたらす優しい西風の神<ゼフュロス>みたく申されていました。

 そんなこって弥生・三月、ディープ?に明けるのであります。

 ちなみに goo 事務局に訊ねたら、“ 以前にも案内したが 「Edge」は、記事投稿機能や画像アップロード機能をはじめとする goo ブログの編集機能が動作しない事象を確認、「Explorer 11」を使って ” との主旨の返事が、“ この回答、役に立った? ” のアンケートを添えて届きました、はい。

 馴染薄い 「カランコエ マジックベル」と 「魚柳梅」(ぎょりゅうばい)、この梅もどき、ニュージランドの国花なんだって、ディープだねえ。
 peter & catherine’S Travel. Tour No.1101

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哀切 ‐ 2月がゆく

2016年02月29日 | 季節/暦

  世間(よのなか)は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり (大伴旅人/万葉集5巻793)

 二十四節気のひとつ雪が雨に変わり氷や雪を溶かす頃とされる “ 雨水 ” (2/19)も何時の間にか過ぎて、漸く春が顔を覗かせてきたような。

 暖かかったのか寒かったのか、よく判らないままに季節が変わろうとしている。
 この時季、時には口さがなく 「芽吹き時には・・・」と揶揄されるようにもあって、気持ちが浮いたり沈んだり、なにかと考え込まされることが多い。

 話は聊か暗くなるが、“ 介護中の妻殺害容疑の83歳、二週間食事拒み死亡 ” (朝日・2/24)との記事を読み考え込んでしまった。

 そこには、“ 二、三年前から認知症になり自宅で療養中の妻(77)の介護に疲れ、無理心中を試みたものの死にきれず、自ら 『妻を殺した』と110番した ” とあった。

 ここまでは稀にしろ耳目にしないでもないが、“ 容疑者(83)が、その後、約二週間、留置場で水以外の食事を殆ど採ろうとせず衰弱、病院に搬送されたものの、ここでも食事を拒み病死した ” と記事は続いていて絶句。

 紙面には、“ 近くの女性(73)は 「買い物にも二人で連れ添って歩くような夫婦だった。自分の具合も悪いし妻の世話も大変だと漏らしていた」と話した ” ともあった。

 記事を読んでいて、許されざることと判りつつも決意するに至った、また、絶食することで罪を贖った彼の心の内を哀れまずにはいられなかった。 

 彼の身勝手な行為を擁護する訳ではない、それに、残された家族の心情を思うといたたまれなく、気が重くなる。

 が、家族を含め周りに迷惑を掛けたくないという、彼の矜持みたくなものを、理性の端っこで理解(わか)る気持ちもあって、納まりがつかず、正直、困ってしまった。

  にもぞ人は死にする水無瀬川 ゆ我れ痩(や)す月に日に異(け) (笠郎女/万葉集4巻598)

 妻を亡くした大伴旅人の男心も、伏流水のように人知れず私はやせ衰えてゆきます、月日を追うごとに・・・と、恋する人を想う笠郎女(かさのいらつめ)の女心も切ない。

 暗い話で気も滅入る、せめても 「カレンデュラ」、和名 「金盞花」を添えて明るくと思ったけれど、その花言葉は 「別れの悲しみ」 「悲嘆」とか、そんなやるせなさを知らぬげに、春の風に吹かれ如月・二月もゆく・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1100

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せこいなあ! ‐ 2月がきた

2016年02月01日 | 季節/暦

 小編を始めてからずっと投稿してきた<季節/暦>、月すえになるとPCを前に  「あゝ、才がないなあ」とつくづく思い知らされ溜息。

 そんな言い訳を枕詞に話題を拝借と新聞を開けば、九州電力が “ 鹿児島県・川内原発に免震棟建設、一転撤回、再稼働後に方針転換 ”(朝日:1/24)とあった。

 記事を追えば、“ 重大事故時の対策拠点となる免震重要棟の建設を撤回。再稼働前の審査では15年度中に完成させるとしていたが、再稼働後の昨年12月に別の建物で代用する方針に転換した ” とある。

 せこいというか姑息というか、喉を焦がした羹(あつもの)も呑み込んじまえば熱さも忘れたか、リスクの高い事業を預かる公益企業にあるまじき御気楽体質に呆れる。
 交付金欲しさの自治体の首長たちが、最後は運転再開を容認すると見くびる厚かましさが好きになれない。

 関電も然り、勝手に原発依存を高め乍ら、運転停止になれば値上げに次ぐ値上げ。
 原油が上がれば即価格転嫁の金看板、詰まるところ、法律を楯にしての独占事業に無能経営をまぶして胡坐をかく図。

 そんなことで、4月から始まる電気料金の自由化を機に変えたいと思っていた。
 折よく、大阪ガスが料金の比較をしてくれると言うので頼んだところ、今のままの方が廉いという結果に。
 二度の値上げを機に節電、従来の六割程度にまで使用量を抑えたことが要因のようだ。

 で、「悔しいが今のまま」と諦めていたら朝日(1/25)の声欄に 「選択にワクワク」とする投書が載っていた。

 なになに?と読めば、“ 一人ひとりが国や電力会社の方針にノーを突きつける絶好の機会。(中略)価格が多少高くてもその分は一層の節電を心掛け安心、安全な自然エネルギーにしたい ” とあって、なるほどねえと頷いた。

 そんなこんなで如月・二月、明後日(2/3)は<雑節>のひとつ  “ 節分 ”、そして翌日(2/4)は “ 立春 ” 。
 とは言え、まだ少し寒い日が続くよう、イレウスの大敵は食事と冷え、僅かな電気代惜しんで入院してりゃ世話ないけどねえ。

 ところで、カタリナ が慈しんできた 「椿」が漸く綻び始め、「<シンビジューム>」が今年もわんさと花芽を覗かせ、今、ちっちゃな喜びのうちにいる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1088

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赦(ゆる)し ‐ 1月がゆく

2016年01月29日 | 季節/暦

 中旬頃だったか、その日の最終のニュースで韓国の世情を報じていた。

 TV画面は、老若交えた人たちが日本大使館の前の少女像を囲み、“ 日本政府は慰安婦への謝罪と法的責任を取れ ” と気焔を上げ、その隣では、日韓合意を支持するグループの男性が、“ 一部の団体がこの問題を反日闘争に利用している。今こそ和解して前に進むべき時だ ” と語る姿を写していた。

 一方、北朝鮮、水爆なのか原爆なのか、何時も乍らの無法振り、かつて味を占めた恫喝行為がまたぞろ鎌首をもたげたよう。
 北の蛮行は別にして、南のそんな彼(あれ)も是(これ)も、恨みが恨みを呼ぶ負の連鎖が為せるのだろう。

 話は変わるが明けて元日の朝日、“ 世界はうたう ‐ オバマが歌った赦す心 ” という記事が載っていた。

 要約すると、昨年6月、かつて奴隷取引の拠点だった南部サウスカロライナ州チャールストンで、白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があり、大統領はスピーチの途中アカペラで讃美歌 「アメイジング・グレイス」 (邦題:すばらしき恩寵)を歌い始めたという。

 その追悼式の一週間前、容疑者が裁判に出廷、遺族は一人ひとりモニター越しに容疑者に語りかけたという。

 それは、“ あなたは私から大切な人を奪いました。もう母と話し抱きしめることもできません。でも私はあなたを赦します ” というものだった。

 また、ある遺族は、“ 私は自分がとても憤っていることを告白しますが憎むことはありません。赦さねばなりません。あなたの魂のために私は祈ります ” と語りかけたとあり、地元の教会で23年、赦すことの意味を説いてきた牧師もその言葉に圧倒されたともあった。

 折からフィリピン訪問中の天皇、皇后両陛下、ご高齢にも拘らず、先の大戦での無辜の犠牲者を慰霊される姿に頭が下がる。

 終戦後間もない反日感情が渦巻くそのフィリピンで、日本人戦犯108人に恩赦を出し、全員を帰国させたキリノ大統領のことをTV報道で初めて知った。
 驚いたのは、キリノ元大統領は戦時中、妻と三人の子供を日本軍に殺害された過去を持っていたということ。

 東京新聞電子版(1/26)に、“ それでも許した理由を、姪にあたるアレリ・キリノさんは、「大統領の弟アントニオの存在が大きかった。父は敬虔なカトリック信徒で、かつての敵に対する赦しの大切さを大統領に説いた」と振り返った ” とあった。

 キリストは、“ だれかがあなたの右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい ” (マタイ5章39)とも、“ 敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい ” (同5章44)とも教える。

 日々 “ わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします ” (主の祈り/部分)と祈り乍らも、怒りや恨みから解き放たれない自分がもどかしくもある。

 写真は 「ゼラニューム」、その花言葉は偶然にも “ 慰安 ” だとか、毎年、やけに長く感じる睦月・一月も余すところ二日、漸く冬らしい様相(かお)を覗かせ乍らゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1087
 

 ※ 「賛美歌第2編167番 ‐ アメイジング・グレイス 」 (歌:白鳥英美子) 時間が許せば聴いて下さい。

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まあるく ‐ くる年

2016年01月01日 | 季節/暦

  霞立つ 春の初(はじ)めを 今日(けふ)のごと 見むと思へば 楽しとぞ思ふ  (万葉集二十巻4300/大伴池主)

  新年 明けましておめでとうございます
  ご家族おそろいで 明るい初春をお迎えのことと お慶び申し上げます

 風もなく青空が広がる2016年、平成28年1月1日の朝です。
 独りでの元朝も三回目、ともなれば少し慣れて心静かに迎えられたようです。

 ところで、年初早々なんなンでありますが、小編も長く続けていますと初春を寿ぐ小洒落た詩歌もなかなかで、無い知恵を絞っていましたら格好の一首がありました。
 それが、大伴池主(おおとものいけぬし)さんが詠んだ冒頭の歌。

 歌意は、“ 春霞の立つ初春の今日のように、これからもお会いできると思えば楽しくてなりません ” といたって判り易い。

 この歌、天平勝宝六年だから西暦754年になるらしいのですが、その正月四日に越中国衙(こくが)の長である少納言大伴家持さんの屋敷に一族郎党が相集い、年始の祝宴を催した際に詠める歌なんだそう。

 お芽出たくも大伴さん家(ち)の弥栄(いやさか)を寿ぐ歌なンだそうですが、平たく言えば、新年会で社長さんに揉み手よろしくすり寄ってのおべんちゃら、といったところでしょうか?

 すまじきものは宮仕え、何時の時代も変わらないようですなあ。
 と、言い乍らも、それで誰かに迷惑を掛ける訳じゃなし、何よりご当人や周りが楽しくなるなら結構なこと。

 で、酔狂、本年は鏡餅、受洗してから長く飾ったことがありませんが。のように角を立てず、丸(まある)く暮せればもうそれで他になし、僅かな祝い酒にほろほろと思うのであります。

 とまれ、ペトロ とカタリナ、今年も元気に “ 旅を重ねて ” いきたいなあと、さて何処へ跳ねますかね?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1075

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四股を踏む ‐ 12月がきた

2015年12月02日 | 季節/暦

 前号に続いてのお相撲さんで芸がないが、その相撲の稽古の基本が四股を踏むこと、と聞いたことがある。
 運動音痴?の酔狂、ラジオ体操を日課としていることは何度か書いたが、そのささやかな体操、三、四日もサボルとてき面、数日後に肩凝りや首の痛みに悩まされる。

 ダウンロードした体操教本、第一と第二の間に首周りの体操があって、その隙間に四股を踏む。
 これが存外に難しくてお相撲さんのように足を高く、どころか全く上げられない、否、上がらないと言うべき?

 彼らと比べること自体無理なのは承知だが、「なんでや?」と厚かましくも思うところが可笑しい。
 四股に次いで足を開いて、お尻を床に近くなるよう徐々に下ろすのだが、下すにつれて 「イテテ・・」と声が出るほどにきつい。

 ところで、膵臓にひじきみたくな影があって<MRI>を撮ったが、その結果を本来聞く筈だった日の前日にイレウスで救急搬送されたため、病室のベッドで聞くお粗末さ。

 主治医の先生曰く 「影は今もある」と、やけにきっぱりと言われたが、「そんなん困りまっせ!」とも言えず、「はあ・・・」としか言いようがないのが聊か癪だが、こればっかりは仕様がない。
 まあ、先生の口振りからすれば、そんなに急ぐ状況でもないのだろう。

 そんなこともありの鰥夫(やもめ)の酔狂、かつて老人ホームなるものへの入居を考えたことも。
 が、日曜日の朝日に、“ なるほどマネー ‐ 老人ホームを選ぶ ” という連載があって、これが読むほどに酔狂如きの権太たれの手には余る、と思い知らされてしまった。

 その余るものとは、資金計画もさり乍ら、規則尽くめの暮し方やサービス品質の満足度、同居者との対人関係などなど。
 自治体などの公的機関が運営するそれは、介護認定、それも要介護4とか5と高くないと望むべくもないらしい。

 然らば、あいつの傍に召される迄はしっかり自立自存してなあかん・・・と。
 ために、過食を慎み、運動に精を出し、呆け封じに頭脳(あたま)を使い、他人様と交わり独善を戒め、身の周りも小ざっぱりと、見た目?も可愛い爺さんにならなくちゃ。

 てなことで師走・十二月、窓越しに見える消防局の塔屋、激しく廻る風速計に身を竦め乍ら、今日も僅か30㎝ ばかり足を上げての四股、せっせと踏むのであります。

 ♪ 真綿色したシクラメンほど 清(すが)しいものはない  (詞:小椋佳)

 で、この号もこの花? ほんと、芸がないねえおまえさん!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1062

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ご勘弁を ‐ 11月がゆく

2015年11月30日 | 季節/暦

 一年締め括りの大相撲九州場所も無事千穐楽の柝(拍子木)が入った。

 今場所も、予想違わずモンゴル産のお相撲さんばかりが目立ったが、賜杯が彼らで持ち回りされているのは、いい加減にご勘弁をという気もしない訳じゃない。
 幾らスポーツに国境がないと言ってもそこは国技、日本産のお相撲さんよどうしたと声をかけたくもなる。

 その場所中、元横綱の北の湖理事長さんの訃報が報じられた。
 中学生から特に認められてプロになったという彼、憎たらしいほど強く、土俵上の立居振舞をふてぶてしく感じたりもしたが、勝負を終えて土俵を降りれば心配りのきいた好青年だったという。

 そんな強さも他の力士に倍する稽古が支えたのだろう、理事長という要職にあってモンゴル産に立打ちできる日本産の力士が現れないことに、歯痒くも悔しい思いをしていたのではと思う。

 62歳という若さ、原因は直腸がんによる多臓器不全、イレウスで入院も繰り返していたと聞き、まるでわが身・・・と、憮然ともなった。

 暗い話で恐縮だが、人生の晩年になって大きな手術をしたり、何度も入退院を繰り返したり、また掛け替えのない人を病であっけなく見送ったりすると、おのれの越し方を顧みて業(ごう)とか因果とか、おどろおどろしいものへ思いを巡らせたりしないでもない。

 キリスト者が何を戯(たわ)けたことをと嗤われるだろうが、輪廻転生、因果応報なるものゆえの今とあれば、もう如何とも仕様がなく、もうこの辺でご勘弁を・・・と、願うしかない。

 イレウス騒ぎで救急搬送、二週間ばかりベッドで過ごし、彼女の年忌も外出許可を貰って掌を合わせるような始末。
 殊更(ことさら)に、そんな詰まらんことばかりを考えてた霜月・11月だったような。

 北の国から雪の便りが届くこの時季になると、またこの花で芸もないが、やはりこの花が似合うように思う。

 入院中のこと、NHKの朝の番組に小椋佳さんの姿があったが、ちょっと気取った題の歌 「シクラメンのか」が巷に流行ったのは四十年前、北の湖さんの横綱昇進と時代は重なる・・・、 ご冥福を祈りたい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1061

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洒落にもならぬ? ‐ 11月がきた

2015年11月13日 | 季節/暦

 転んでもただでは起きない? で、読みたくもないだろうけれど入院中のひとくさりを。
 そもそもこの症状、“ 一通りの治療の後はひたすら点滴に頼って絶飲食の腸(おなか)養生 ” 、兎に角、所作がない。

 そんな無聊の日々を慰めてくれるのが新聞。
 以前、新聞売りのおばさんがいて、毎日、朝食の前後に病室を覗いてくれて重宝した。

 が、何処も彼処も経営改善とやらで、こうした便利屋さん的なものが姿を消し、此処も別棟の地階の売店まで足を運ばなくてはならなくなって不便極まりない。
 尤も、運動不足の解消に聊かの益(やく)もあるようだが。

 話がそれたがその新聞、過日(11/6)の天声人語、点滴のチューブを絡ませながら読んで驚いた。

 そこには、“ ベーコンやハムといった加工肉には発がん性があると、世界保健機関が発表した ” とあり、さらに、“ 1日50gを毎日食べると大腸のがんになるリスクが18%高まる ” ともあって、「へ~えっ、何とまあ!」とびっくらぽんの上に、“ 十分な証拠に基づく発表 ” と念を押す親切さ。

 これに “ 世界中が驚いた ” のも当然、発表元は後になって、“ 食べるのを止めるよう求めてはいないと釈明 ” したもンだから天声人語氏、“ どっちなんだ ” と内閣府の食品安全委員会に問い合わせたとか。

 そしたら、“ この発表をもって加工肉のリスクが高いと考えるのは適切でないという見解だった ” との役人回答に匙を投げたか、詰まる所、“ バランスのいい食べ方をという穏当な結論に落ち着くのだろうか ” と括る。

 鰥夫(やもめ)の酔狂にとってのことだが、ベーコンやハムなどは扱い易いというか便利な食材、何よりそれ自体が主であれ脇であれ美味いのである。

 6cmほどのウィンナ3~4本で50g見当、大した量(かさ)でもなく、それががんに、と今更乍らに言われたって、育ち盛りの子供さんのお弁当作りにも困るだろうに。

 何れにしても、腸詰め喰って腸のがん? なんて洒落にもならへんけど、<ミュンヘン>で喰ったヴォイルした白ソーセージや焼いたの、ほんま美味かったなあ!

 月も半ばになって《霜月 ‐ 十一月がきた》もないが、青紫蘇みたくな葉っぱの 「ムラサキルーシャン」、そして 「スプレーマム」、昨今はキクも加工されて実に多彩だ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1054

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秋深き・・・ ‐ 10月がゆく

2015年11月11日 | 季節/暦

 病室の窓からだが、十月も終わり近くになって暫く、空が高く青い日が続いたよう。
 十月第四週の週末(10/24)、散歩で寄った西宮神社の菊花展も、七五三詣で着飾った家族連れをお祝いするかのよう、文字どおりの秋晴れで大層賑わっていた。

 外出許可を貰ってカタリナ の祥月命日を前に参った甲山墓園の桜紅葉も、秋たけなわの装いだった。
 とは言え一昨々日(さきおととい・11/8)は二十四節気のひとつ “ 立冬 ”、暦の上では早くも冬、季節の移ろいはいかにも早い。

 ところで菊花展に寄った翌々日、懲りもせずイレウスで救急搬送、まま入院という情けないことに・・・。
 で、小ブログも止む無く休載、少し前に<マイナス思考>を投稿したこともあって、ご心配をお掛けしたのではと思う。

 ただこの症状、喫緊の治療、措置を施されると後はただ絶飲食の腸(おなか)養生、点滴に片手預けて、情けなくもぼんやりと青空を窓に眺めて過ごすしかない。

 そんなある日のこと、誰やら搬送されてきたのか隣室が慌ただしい。
 たまさか開け放ったドアの向う、手袋、マスクは言うに及ばず、割烹着みたくな使い捨ての紙エプロンや帽子に身を包んだ看護師さんが出入り、「えらく賑やかな入院やなあ」と、ぼんやり眺めていた。

 暫くしてやって来た看護師さん二人、「療養(おやすみ)のところ恐縮です」と、おずおずと一枚の紙を渡す。
 別に守秘義務も負わされなかったので明かすと、そこには、“ 当該階病棟に疥癬(かいせん)患者 ” の文字、早い話が院内感染があったらしくびっくり。
 通常型と思しき感染者が複数出たらしく、発症元の角(質)化型患者が個室に緊急隔離されたらしい。

 その翌日、皮膚科の医師が 「今のところ、感染(うつって)ない」と診断、予防薬を飲まされ、一週間後に再診、仮にも退院していれば外来、内心往診が筋やろと思う。せよと宣う。

 うつっていても通常型ならば心配することもないと聞くものの、その話の度に何んとなく体がむず痒くなるから不思議。
 担当の看護師さんと、お互いぼりぼりと腕(かいな)辺りを掻いては顔を見合わせ苦笑する始末。

 てなことで、秋の日は釣瓶落としとも、透き通った青空が茜色に染まりやがて濃い藍色に移ろう様を眺めながら、

  秋深き隣は何をする人ぞ  (芭蕉)

 俳聖最晩年の名句に、晩秋の夜、灯りこぼれる隣家ならぬ隣室の御仁に思いを巡らす日々でもあった。

 そんなこんなで出し遅れの証文みたく、月遅れも甚だしい《神無月 ‐ 十月がゆく》になってしまった。
 その名も 「ウィンター・コスモス」とあったが、それこそ通常型の 「コスモス」とどう違うのだろうか?
 peter & catherine’s Travel. Tour No.1053

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最後の晩飯 ‐ 10月がきた

2015年10月02日 | 季節/暦

 日本語になっていないけれど、酔狂、酢豚が結構好きらしい?
 カタリナ が病に斃れる直前、この<中華料理>が食べたくなって、無理やりつき合わせてしまって以来、なんとなくそれを避けてきたみたくなところもある・・・。
 たまに覗く昔ながらの食堂にも美味しそうに並んでい、手に取ろうとして慌てて手を引っ込める。

 我慢できず某日ついに?HPでレシピを引っ張り出し拵えることにした。
 その過程や出来上がりを写真に収めて投稿とも考えたが、流石にそこまではと思い留まった。

 食に限らず、欲しいと焦がれた挙句、そのものを目の前にした途端、憑き物が落ちたようになることがままある。
 彼女が元気だった頃、無性に<>が食べたくなって困らせたことがあったが、この料理も然り、出来上がったところで既に満腹?

 喩えが聊か不穏だが、外国映画などで執行の前日に死刑囚が望む食事を給されるシーンを見ることがあるが、老いれば毎日がその最後の晩飯かも、さて何が食べたいのかな?と思案投げ首の体(てい)。

 イエスは、“ 信仰の薄い者たちよ。だから、「何を食べようか」 「何を飲もうか」 「何を着ようか」と言って、思い悩むな ” (マタイ/6章30-31)と教える。
 凡人酔狂、そんな風に言われたら身も蓋もない気もしないでもない。

 そんな委細にお構いなしに神無月・十月は明け、食欲の秋は一段と深くなるようで。
 キリストの受難の象徴ともされる 「<柘榴>」、果物としてのほか、スイーツなどにも使われるらしい。

 ところでイエス様、“ 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である ” (同/6章33-34)とも続けておられる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1039

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