アジア・オセアニアNews blog ~お日様とお月様の光と影~

アジア・オセアニア地域の通信社が配信する記事から『中国の領土紛争問題』を伝え日本の安全保障などのニュースブログ。

19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した (21)

2013年10月20日 | お日様とお月様の光と影
 1854年5月、イギリス・フランス連合国と帝政ロシアとの戦争は(クリミヤ戦争1853-1856年)オスマントルコが帝政ロシアに宣戦布告してクリミア半島からバルカン半島へ黒海そしてバルト海へと戦線をどんどん拡大させていました。この時イギリスの東インド・シナ艦隊は租借地である香港の軍港に待機していました。また帝政ロシアのプチャーチン艦隊はこの時はフィリピンのマニラに寄港していまいした。
   アメリカ合衆国と日本とが日米和親条約締結し交易開始の噂は幕府の考えより早く西洋列強諸国に伝わっていました。この時アメリカ合衆国のペリー提督は函館の検分に向かっていました。イギリスと帝政ロシアの艦隊はペリー艦隊の動きを察知しておりいつでも日本に向かうことができたのです。
   
 この海外情勢を背景に江戸城本丸御殿の御用部屋では安部正弘、徳川斉昭、藤田東湖が海防強化ための講武所開設や海軍伝習所の開設そして洋学所開設について合議していました。安部正弘はふと「アメリカとの国交を持つと今度は自由貿易を必ず求めて来るそして西洋列強諸国が次々と国交を求めて来る…」「耐えることができるか???」と思うと「ここが引き時か…」と思わず安部の本音が口に出ました。
  その安部の言葉を隣りで聞いた徳川斉昭は「何を言うか正弘は辞めるな余が辞める!」と言い出しました。
   「とんでもない!老公あなたが辞めると水戸藩と何をするか判りません!私が辞めます!」  
  安部と斉昭は辞める!辞めない!でもめた出した。直ぐに藤田東湖が二人に割って入った。
   「大殿それでは上様にお伺いすればよろしいでしょう…」
   「イモ公方に何が判断できるというのだ!」 

 江戸城本丸御殿将軍御座の間には中庭がありますそこで家定が七輪で豆を煎っていました。家定は毒を盛られるのを恐れてイモや豆などを七輪で焼いて食べるのが日課でした。家定はエリートコースを歩んでる一ツ橋慶喜と比べらて来ました。もしかすると家定は「極々普通の人」だったのかも知れません。その時、中庭に面した縁側に安部正弘がやって来て平伏しました。安部は日米和親条約締結の責任を取って職を辞したいと家定に願い出ました。
 「なぜ?そんなこと言う?」と家定は安部の顔を見ました。安部は今まで見たことが無い真剣な表情の家定を見ました。
   
   「安部お前は誰も判断できない対外政策を有力大名と共に熟慮断行して来たではないのか?」
   「過激な水戸のじぃさんを上手く宥めて今出来る最善の方法を一緒に考えて来たのではないのか?」
  「お前や水戸のじぃさんが辞めることは私が許さんぞ!」
 「引き続き国政の運営を任す励めよ」

  家定が「手を出せ」と安部に言ました。家定が煎ったばかりのアツアツの豆を安部の手に乗せた。安部は熱いので豆を振り払い「上様何をなさいます!」「罰じゃ!」家定の表情は元に戻っていました。そこにガチョウが中庭に現れましたすると家定はガチョウを追い回し始めました。
  (ガチョウと一緒の遊ぶのも家定の日課だったんだよね
  しかし家定が対外政策を評価し褒めてくれたことになぜか安部の心を和ませました。そして安部は御用部屋に戻って行きました。   

   さて以前にも語りましたが島津斉彬はかなり近代的思考を持つ人だった様です。斉彬は藩主に就任した1851年に蒸気機関の船を試作するため薩摩藩内に製鉄業・造船業・武器製造業などの洋式関連事業を集約した「集成館事業」を興していました。斉彬はこの集成館事業によって日本初の蒸気帆船雲行丸と洋式帆船昇平丸(後に幕府に献上しました)の製造に着手していました。
  斉彬の近代国家構想である「近代科学を学びかつ産業を興しそして日本の軍政を近代化改革を行い西洋列強諸国と同等の国力を持たなければならない」は幕藩体制を保ち有力大名による合議制を構想していて幕政の近代化改革を行おうとしていました。ですから斉彬は幕府閣僚の安部正弘と徳川斉昭また有力大名である越前福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂などと次期将軍擁立ネットワーク「一ツ橋派」を形成し頻繁に連絡を取り合っていました。「一ツ橋派」は島津斉彬が加わることにより以前より幕政への影響力が増していました。

  また斉彬の国家構想は次期将軍に一ツ橋慶喜を擁立することでした。西郷吉之助に託した松平春嶽宛て手紙には「近日中に将軍家定と謁見しまた一ツ橋慶喜に会いに一ツ橋邸に訪問する予定」の旨が書かれていました。そして島津家一門今和泉島津家の娘敬子は斉彬の養女となり江戸薩摩藩邸に昨年末に到着していました。斉彬は敬子を徳川宗家へ輿入れさせて薩摩藩の幕政への影響力をさらに高めようとしていました。

  

  つづく 


 お日様とお月様の光と影~東アジア近代化クロニクル(年代記)~ 
 
 第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した
  プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!(1)~(21)



 参考文献 
 知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社より
 江戸300藩最後の藩主~うちの殿様は何をした?光文社文庫 より
 幕末外交と開国 講談社学術文庫 より

 1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
 2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝  前半 より
 2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より

 文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
 文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より


  突っ込みどころ満載!
   筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
 また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。