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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第10位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 ニットベスト 」

2015-11-30 06:01:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

       今朝はよく冷えた。
       個人的にはこのくらいの寒さが好きだが、
       でも、これ以上の寒さは頂けない。

       そんな今日の順位は10位で、
       ラッキーポイントは、
       「 ニットベスト 」 である。

       周囲からの批判にブルーになるかも?
       それにメゲないで頑張りましょう!


長崎県五島市 「 カトリック福江教会 」

2015-11-30 03:41:30 | 教会







福江教会の歴史は明治29(1896)年、
久賀島から最初の信徒が福江地区に移り住んだことから始まりました。
ペルー師が、堂崎教会を中心に下五島の各教会を巡回していた頃で、
当初はこの信徒宅でミサが捧げられていました。
その後福江地区では信徒数が徐々に増え教会ができるまでは
現在の中央町の家御堂でミサが捧げられました。

ペルー師が明治43(1910)年前後に、
当時公立病院の病棟が建っていた現在の教会敷地を建物と共に購入し、
建物を教会に改造しました。
これらの資金はフランスの篤志家がペルー師に与えたものと伝えられています。

大正3(1914)年4月には、それまで所属していた旧堂崎小教区から分離・独立し、
新たに福江小教区としての歩みをスタートさせました。

福江教会の特徴としては、江戸時代末期に大村藩領から
五島内の各集落に住み着いた潜伏キリシタンの子孫達が、
徐々に福江地区に集まってきて共同体を形作っていった点が挙げられるでしょう。

昭和4(1929)年、教会敷地内に現在の福江修道院の前身である奥浦修道院分院が設けられ、
共同生活をしていた数人の修道女達が精米所を開業しました。
前年には同じ敷地内で修道女二人が産婆の仕事も始めています。
五島病院と助産院の手伝いが主な仕事で危篤の嬰児に臨終の洗礼を授けることもありました。
精米所は精米、精麦、製粉のほか時間にゆとりのある時期を利用し製麺も行っていました。
“ 値賀の誉 ” と名づけられたそうめんはおいしと好評で、昭和30(1955)年まで行われました。

また太平洋戦争末期から終戦直後にかけて教会の一部が
軍 ( 五島兵団:混成旅団 ) の倉庫に使用されたこともありました。

福江教会信徒の長年の夢であり懸案であった新しい教会の建設は、
信徒らが資金を出し合い昭和36(1961)年3月着工、
昭和37(1962)年4月25日献堂という形で実を結びました。

その僅か5ヵ月後の9月26日未明に起こった 「 福江大火 」 は、
市街地の大部分を焼失するという長崎県内では戦後最大の大火災でしたが、
完成間もない福江教会は奇跡的に焼失を免れ、
焼け跡にそびえ立つ教会が復興のシンボルとして被災者を勇気づけました。

五島市の行政・経済の中心地に位置し、下五島地区では信徒数が最も多い教会で、
市内の教会の中心的な役割も担っています。
また福江教会の朝は早く、教会の門が開けられる午前5時頃から
三々五々信徒達が教会に集まってきます。
午前6時に始まる平日のミサまでの時間、ロザリオの祈りなどを捧げるためです。
また、平日であっても小学生の子ども達が交代で司祭のミサ司式を手伝う侍者をつとめるなど、
日々の生活の中で豊かな信仰がいまも受け継がれています。

福江教会は立地の良さから訪れる人の多い教会の一つで、
人々の祈りと安らぎの空間として今日もその歴史を重ねています。


所在地 / 長崎県五島市末広町3-6

教会の保護者 / イエズスのみ心


福岡県飯塚市 ・ 飯塚オートレース 「 激走する東小野 正道 」

2015-11-30 02:23:41 | 競輪・オートレース






















8号車の東小野が外から襲いかかる






6号車石橋のインをうかがう






前輪が入ればスピードで入り込む








芦屋競艇場で行われたチャレンジカップの女子は
1枠の寺田千恵がスタートを決めて逃げ切った。
そして男子の優勝戦も笠原が1枠を利して逃げ切り、
約10年ぶりのSGの優勝を手にするとともに、
年末のグランプリの出場を決めた。

この日の芦屋競艇場の1着は1レースから12レースまで、
全てのレースで1号艇で決まっている。
相撲でも東や西の力士が勝ち続けることもあるが、
それでもせいぜい5・6番も続けば途切れる。
なのに競艇で全レース1号艇がオール1着というのは記憶に無い。
アゲンストならばともかく、
昨日は2マークから1マークに向けて追い風が吹いていたから、
インコースが断然有利だということが裏付けられた結果だと思う。

そしてジャパンカップは、内ラチ沿いから一たん先頭に立ったラストインパクトを
馬群を縫って追い込んで来たショウナンパンドラが
ゴール前クビの差だけ交わし、秋華賞以来 GⅠの栄誉に輝いた。

飯塚オートでは田中 茂が優勝した。
初日 ( 27日 ) に応援に行った東小野正道は惜しくも2着だった。
愛車クレーイジーD ( ダイヤモンド ) を自由自在に操って、
強引とも思えるチャージをかける。
粗さはあるが、常に1着を目指して走るそのレースに掛ける姿勢が好きだ。

レースは粗いが、心優しい人柄も彼の愛される魅力のひとつであろう。 
以前、CS放送の応援FAXを送っていた宮田町の東小野選手のファンの方が
亡くなられて、そのことを伝え聞いた東小野選手が、
レースが終わってお線香をあげにうかがったと言う話を聞いたことがある。
そんな東小野選手を応援している。


福岡県築上町 「 京築ふるさと文化祭 」

2015-11-30 01:52:41 | 日記 ・ イベント



会場となった築上町多目的会館 「 ソピア 」


























午前中、ムサシと 「 メタセの杜 」 に行ったあと、
午後からいつも見ている 「 タビ好き 」 が終わってから、
JAPANカップが始まるまでの間に 「 京築ふるさと文化祭 」 に行って来た。
この文化祭には、京築の7市町の文化協会に所属する会員230人の作品、
500点が展示されていた。

作品を観ると、分野は違ってもピンと来るヒントのような物があったりするので、
勉強がてら興味深く観て回った。
額を含めて、パネルの大きさや写真の光沢やアクリル板の反射など、
いろいろと試してみたい課題が見つかったのは収穫だった。
   

福岡県築上町 ・ メタセの杜 「 ムサシの散歩 」

2015-11-30 00:41:58 | 柴犬 ムサシとピース













昨日はどこにも行かないつもりでいたら、
最近ムサシに寂しい思いをさせているので、
久し振りに 「 メタセの杜 」 に連れて行った。

日曜日なので人や犬が多いだろうと思いながら行くと、
思っていたよりも、うんと少なくて、
公園内はほぼ貸切状態だった。

ただ、以前は入れた芝生の中には
芝生の保護のため入れないように
黄色いテープが張られていた。

ムサシは中に入りたがったが、
これはルールだから入れる訳にはいかない。
そのぶん、公園の周りをぐるぐる回って帰ったが、
いつもと違うコースだったので、満足したようだった。