「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県星野村  『 六町弓暗渠 』

2018-09-30 16:19:47 | 近代化産業遺産・土木遺産






























六町弓暗渠は、耳納高原病院から星野村へ向かう途中にあり、
幾重にもなった棚田に水を送るために造られた橋幅2.7m、
径間1.0mの暗渠である。
ただでさえ水の少ない山間部にあって、
谷水に頼らなければならない棚田へ水を供給する先人の知恵と技術を垣間見た。



熊本県大津町  「 上井手取り入れ口の頭首工 」

2018-09-12 16:41:02 | 近代化産業遺産・土木遺産




























































上流側に頭首工なる物がある。
ほとんど同じ造りだがこちらは純粋な石造構造物で
さらに重厚な造りである。
下流部には倒れ止めのような突っ張り桁石が設けられている。
やはり5門。この直ぐ前が取水口になっていて、
白川に堰を設け水門を造り流れ込む仕組みになっている。


頭首工 ( とうしゅこう ) とは、
河川などから農業用水を用水路へ引き入れるための施設の総称。
用水路の頭首に設置される工作物であることからこの名称が用いられる。
通常,取水ぜきと取入口から構成されている。
灌漑地区へ送水するのに必要な水量と
水位を取入口で安定して確保できるよう取水ぜきを設ける。
その位置としては,河川のみお筋が安定していて
取入口を設ける岸の近くを流れ,
洪水による河床の洗掘や土砂堆積を生じない地点が選ばれる。
またせき上げ取水による上下流への影響が少ないことも要件となる。


ハーフティンバー様式

2018-04-28 08:17:34 | 近代化産業遺産・土木遺産



旧門司三井倶楽部 ( 北九州市門司区 )





ハーフティンバー様式 ( half timbering ) は、
北方ヨーロッパの木造建築の技法である。
半木骨造とも呼ばれ、アルプス以北の
北方ヨーロッパ ( 英、独、仏 ) の木造建築に多く見られ、
特に15世紀から17世紀、英国の住宅に多用された。

ハーフティンバーの名称の由来は、
壁と木造の部分が半々となる ( 半分木造の意味 ) ためとも、
割られた材木を外部に見せるためとも言われる。
柱、梁、斜材 ( 筋違 ) 、間柱、窓台等の軸組は隠されず
装飾材としての役目を兼ね、
軸組の間を漆喰や煉瓦、石などで仕上げている。



鹿児島市  「 鹿児島港新波止砲台跡 」

2018-03-27 12:00:47 | 近代化産業遺産・土木遺産



薩英戦争でこれらの砲台から攻撃した石積み










薩摩藩砲台跡の碑








石を積み上げた上に設置された砲台跡の碑銘








桜島行きのフェリー乗り場の対岸に築かれた石垣








なだらかな勾配で築かれている







船着場の跡だけがせり出ている







明治天皇行幸所船形台場の碑







砲台が据えられていた跡は平坦になっている








石橋記念公園に隣接した祇園之洲砲台跡








仙厳園の反射炉前にある150ポンド砲 ( 復元 )








150ポンド砲の説明板






■ 所在地 /  鹿児島市本港新町
■ 竣工  /  1854年 ( 安政元年 )


砲台は桜島を望む錦江湾に向かっていた。
幕末の薩摩に欧米の力が忍び寄っていた。
通商や艦船への補給を求めて開港を迫る諸外国の来航。
次第に衝突の機会も増え、
薩摩藩は他に例を見ないほど徹底した防衛策を講じていた。
海に臨む要衝に砲台を築き大砲を備えた。
城下の海岸線には防塁を築き、
文久3年(1862)にはこれらの砲台によって
英国軍艦を撃退したのである。

弘化元年(1844)に始まった砲台整備は
錦江湾の周囲から外海まで及んだ。
砲術は長崎に洋式砲術を学ばせ、
鋳製法と呼ばれる鋳物場を設けて、青銅砲などを鋳造し、
さらに火薬に至るまで研究を重ね、
洋式の製法で自家製造にあたっている。
こうして構築された大防衛線は
長崎海軍伝習所の蘭人のカッテンディーケをも驚かせた充実振りであった。
ここには150ポンド爆砲をはじめ11門が備えられていたと記録にある。


鹿児島港新波止砲台へのアクセス
鹿児島港新波止砲台へは、鹿児島中央駅より市電鹿児島駅行きに乗車し、
鹿児島水族館口で下車。そこから徒歩で約7、8分。
車では国道10号線を城山交差点を海側に入り水族館へ向い約3分。
駐車は、水族館付近に多数駐車場が有り。


鹿児島市  「 旧島津家吉野植林所 」

2018-02-27 16:51:11 | 近代化産業遺産・土木遺産

























































所在地 /  鹿児島市吉野町
竣工  /  明治42年 ( 1909年 )
登録有形文化財

旧島津家吉野殖林所 ( 植林所 ) は、
鹿児島県吉野村 ( 現・鹿児島市吉野町 ) に
明治42年に建てられた洋館の事務所で、
当時は吉野村から吉田村 ( 現・鹿児島市吉田町 ) にかけて広がっていた殖林で、
それを管理していた事務所である。
現在あるものは、昭和61年に移築再現されたものである。


旧島津家吉野殖林所へのアクセス
旧島津家吉野殖林所へは、尚古集成館の隣になるため、
尚古集成館を参考にしてもらいたい。
駐車については、裏にお客専用の駐車場がある。


鹿児島市  「 旧芹ケ野島津家金山鉱業事務所 」

2018-02-20 11:41:15 | 近代化産業遺産・土木遺産





























































所在地 /  鹿児島市吉野町
竣工  /  明治37年 ( 1904年 )
登録有形文化財


どっしりとした落ち着きのある建物はただ単に洋館というだけではなく、
日本の造りにバルコニーなどの洋風な造りが融合したもので、
6連のアーチになった2階のバルコニーだけを見ると西部劇のようであるが、
和風の屋根と協調しあうように造られている。

芹ヶ野金山は薩摩藩時代から採掘が行われいた金山で、
後の串木野鉱山の4つ( 西山坑 ・ 芹ヶ野坑 ・ 荒川坑 ・ 羽島坑 ) のひとつである。
そこで明治37年に鉱山事務所として建築れてたものである。
串木野鉱山は三井串木野鉱山として現在も経営されている。

薩摩藩主・島津斉彬は嘉永4年 ( 1851年 ) に殖産興業、
富国強兵の政策から精錬所を設け、
反射炉を造り大砲などの生産に乗り出す。
維新後の明治元年になってから芹ヶ野金山を家業とした島津家が
日本の近代化に力を注いだ遺産が集成館を始め、数多く残されている。


旧芹ヶ野島津家金山鉱業事務所へのアクセス
旧芹ヶ野島津家金山鉱業事務所へは、
旧島津家吉野殖林所の隣になるため、
尚古集成館を参考にしてもらいたい。
駐車は、芹ヶ野鉱山事務所の施設の前か、
旧島津家吉野殖林所の裏になる。


鹿児島県鹿児島市 ・ 近代土木遺産 「 鹿児島市役所本館 」

2018-01-02 16:37:37 | 近代化産業遺産・土木遺産



一見、外観は角ばって硬そうな感じに見える








壁に埋め込まれた銘板







本館の中央上部に掲げられた市章







レリーフの下に連続して並ぶアーチ







正面玄関のアーチは凝灰岩で縁取られている







駐車場へ行く通用門にも優しいRが施されている





所在地   / 鹿児島県鹿児島市山下町
竣工    /  昭和12年 ( 1937年 )
設計者  /  大蔵省営繕管財局工務部
■  有形重要文化財


鹿児島市役所・本館は戦前の昭和12年に竣工された庁舎で、
木造建築物が多かった当時としては珍しく、
鉄筋コンクリートで造られた斬新的なものであった。
玄関部分や随所にアーチが設けられ、
角ばった外観の持つ硬さとは裏腹に
柔らかいRが役所の持つ硬いイメージを和らげる効果を発揮している。
また玄関ポーチや中央塔に取り付けられたレリーフが気品を感じさせる。


鹿児島市役所・本館へのアクセス
鹿児島市役所・本館へは、鹿児島中央駅前より
市電にて 「 市役所前 」 にて下車。
徒歩、数十秒。


北九州市八幡西区 ・ 近代土木遺産 「 旧折尾駅舎 」

2017-12-26 10:29:55 | 近代化産業遺産・土木遺産



門司港同様にレトロな雰囲気を醸し出す駅舎









1916年7月に竣工した東口駅舎
























梁と柱をつなぐ支持金具まで装飾が施されている








1階待合室の柱の台座まで凝った造りになっている








鉄骨がむき出しになったホームの屋根裏







高架のホームから1階改札口へ向かう階段








やや勾配のついたホーム








高架の鹿児島本線から筑豊本線への乗り換えや出口へ向かう階段








ベンチや梁に昭和が残る







長いホームが石炭や製鉄の隆盛を物語る








黒ずんだ壁面が当時の面影を偲ばせる








坂を上るように入ってくる鹿児島本線の列車







同じ大きさの煉瓦を積み重ねた連絡通路








鹿児島本線の下を通る連絡通路







小さな煉瓦が幾重にも重なり合って強固なアーチを造る






JR折尾駅は1891年 ( 明治24年 ) の開業で、
日本で最初の立体交差になった駅である。
上に鹿児島本線が、下には筑豊線が通っている関係から、
開業間もないころは九州鉄道と筑豊興業鉄道の
二人の駅長がいた珍しい駅だった。


折尾駅は1916年 ( 大正5年 ) に改築された
ルネッサンス洋式の木造2階建て駅舎には風格が漂うが、
連続立体交差化などの事業にともない現在取り壊されている。

近代化、合理化、構造上の耐震強度などの観点から
こうした近代遺産が姿を消して行くのは忍びがたい思いである。
現代建築の水準は高く、
一度造ったら半永久的に維持が出来るほどの技術を誇っているが、
そんな建築物が経営原理などの理由から
クラッシュ・アンド・ビルドを繰り返す。

1番ホームに立って上を通る鹿児島本線の高架の黒ずんだ壁面を見ると、
かつて石炭産業で一世を風靡した筑豊の重みを感じさせる。




福岡県岡垣町 ・ 九州鉄道 「 海老津赤煉瓦アーチ 」

2017-11-22 13:26:32 | 近代化産業遺産・土木遺産








































































海老津赤レンガアーチは、
九州鉄道本線(現在の鹿児島本線)の旧線跡に残る橋梁の遺構である。
九州最初の鉄道会社である九州鉄道は、
1889 ( 明治22 ) 年に
博多駅〜千歳川仮駅 ( 現在の佐賀県鳥栖市 ) 間で開業後、
門司に向かって延伸して翌年に遠賀川駅まで開通した。
海老津赤レンガアーチはこの時に建設されたと思われる。

当初の路線は城山 ( じょうやま ) 峠を越えるルートで通されたが、
急勾配が蒸気機関車には負担だったため、
山を貫通する城山トンネルが建設されて
1909 ( 明治42 ) 年にルートが切り替わり、
峠越えルートは廃止された。
この旧線跡をはっきりと示す遺構は、
海老津赤レンガアーチの他には残っていないようである。
なお、海老津赤レンガアーチとは後年に付けられたものであり、
現役時代の本来の名称は分からない。


住所 : 福岡県遠賀郡岡垣町海老津
竣工 : 1890 ( 明治23 ) 年頃

福岡県築上町  「 本庄の雪穴 」

2017-11-02 13:46:41 | 近代化産業遺産・土木遺産



雪が溶けないように石垣で囲まれた 「 雪 穴 」








雪穴へ向かう入り口の路標







山に入ると最初の路標







山道の途中のある路標








山道を10分ほど歩くと樹々の奥にフェンスで囲まれた 「 雪 穴 」 が見える













本庄の雪穴は東庵の発願で明治時代に造られた氷室は、
直径 5,3m、深さ 4,6mで、花崗岩の谷積で構築されている。
冬季に雪を運び入れ踏み固めて、茅などで覆い、
夏期まで雪氷を貯蔵し、病人の熱冷しに使用したものである。

内野東庵(1841~1926) は本庄村 ( 現・築上町本庄 ) に生まれ、
医師である父、蓬山のあとを継ぎ地域の医療に携わった。
また県道や萱切トンネル ( 横瀬―本庄 : 明治36年開通 ) 、
鉾立トンネルの開鑿・みかんの栽培・櫨の植樹・大楠の苗の移植など
産業、福祉、住民の生活向上に貢献した人物である。


鹿児島市  「 鹿児島中央高等学校 」

2017-10-28 14:32:37 | 近代化産業遺産・土木遺産



円形校舎は学校というよりも百貨店のようである










校門にある銘板








教会のように連続でアーチ窓が並ぶ








道路に面した壁面だけをモダンにした体育館








アーチのひとつひとつの窓枠に縁が付いている







角のない柱が気持ちを落ち着かせる








玄関の明かり取りの壁窓は円形になっている








照明器具もホテルのような物が使用されている







階段上の踊り場の梁は優しいアーチになっている








校庭には、かつて 「 第一高女 」 だった碑が建っている







敷地内にある 「 東郷平八郎の生誕の地 」 碑





所在地  /  鹿児島市加治町
竣工   /  1935年
鹿児島県内 二番目のRC造学校建築
設計者 /  岩下松雄
登録有形文化財



鹿児島中央高等学校の創設に当たって、
県当局の当初の意向では鶴丸高校の分校として
旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校 ( 一中 ) 跡地
( 現・鶴丸高校 ) に開校する予定であったが、
諸方面からの反対があり、当時の新聞にも取り上げられた。
一中や鶴丸関係者側としては、
かつての母校の敷地を取られたくないとの認識があり、
反対する意向が強かった。
結局のところ、鶴丸高校の分校ではなく、
別の高校として ( 鹿児島県立第一高等女学校跡地 ) へ
設置が決まったわけである。

そんな経緯を持つ鹿児島中央高等学校は、
RC造 ( 鉄筋コンクリート造 ) 3階(一部4階)で、
建築面積2866㎡の塔屋を備えた建造物であり、
鹿児島県内で二番目のRC造学校建築でもある。
丸く整えられた玄関や連続するアーチ窓などの外観もさることながら、
内部にも随所に洋風建築へのこだわりを垣間見ることが出来る。



鹿児島中央高等学校へのアクセス
鹿児島中央高等学校へは、
鹿児島中央駅前からナポリ通りを300mほど行くと、
「 維新ふるさと館 」 へ渡る南洲橋がある。
そこを渡って大通りに出たところが鹿児島中央高等学校になる。
現役の高校であるため事前に連絡を必ず入れ、
許可を得て見学すること。
駐車は校内もあるが、出来るならば公共の交通機関か徒歩をお薦めしたい。


福岡県築上町 ・ JR日豊線 「 二口橋梁 」

2017-10-17 14:26:29 | 近代化産業遺産・土木遺産



レンガで組まれた橋梁トンネル








草に覆われて分かりにくい位置にある







4層のレンガで輪石が構成されている








入り口から3mほどがレンガ造旧式の橋梁







奥はコンクリートで頑丈に造られている








ビシリとレンガが組まれたアーチ内部







二口橋梁の横を流れる城井川と城井川鉄橋












二口橋梁は、JR九州の日豊本線築城駅と椎田駅の間の高塚にあり、
弓の師橋梁から東に約2.5キロほどの場所にある。
レンガ作りのきれいな馬蹄形のアーチをなしているが幅が狭く、
線路が旧国鉄時代の単線であった頃の重量や頻度を考えれば、
力学的構造からこの構築で十分だったのだろう。

入り口から3mほどしかレンガ造りのアーチは存在しないが、
それでも当時の姿のまま
こうしてひっそりと遺っているのはうれしい限りである。



福岡県築上町  「 矢引迫 ( やびきざこ ) の氷室 」

2017-10-10 11:57:28 | 近代化産業遺産・土木遺産



氷室として築かれた石組みがわずかに町道側に残っている








氷室の中は土が流れ込んで原型をとどめていない







町道の横に露出した石組み











矢引迫 ( やびきざこ ) の氷室は、
福岡県築上町の真如寺から龍城院へ向かう町道の脇に
僅かに石組みが残っているが、
氷室として使われていた室穴は土砂が流れ込んで
原型をとどめていない。

氷室がある矢引迫は、戦後の植林で杉や檜が林立しているが、
戦前は茅葺の屋根の材料として使われていた萱の群生地であった。
秋になると鎌で萱を刈り取った後、露出した山肌を隠すように
大量の雪が積もる。
その雪を穴に詰め込み踏み込んだのが氷室であった。
遠く離れた 「 今井の祇園さん 」 に氷を馬車で運ぶのに、
夜中に出ていたと言われている。

また、矢引迫の地名となったのは、
この山上から攻めて来る敵をめがけて矢を射たことから始まる。
ここはかつて城井谷を治めていた宇都宮氏の領地で、
黒田の軍勢の来襲に備えていたと言われている。
その黒田軍の烏帽子を射たことから、
ふもとの真如寺には、烏帽子笠という地名も残っている。


山口県下関市 ・ 日本最古の現役郵便局舎 「 下関南部町郵便局 」

2017-09-13 13:13:13 | 近代化産業遺産・土木遺産































































下関南部町郵便局は、下関に現存する最も古い洋風建築物で、
明治33年 ( 1900 ) に赤間関郵便局 ( 当時 ) が電信局を統合し、
新築移転されたものである。
外壁のレンガは厚さ60センチという堅固なもので、
逓信省 ( ていしんしょう ) 技師の三橋四郎が設計を行った。
いまなお現役の郵便局舎としては日本最古の建築物である。

現在、局内には資料展示コーナーのほか、
カフェが併設されたギャラリーや中庭があり、
コンサートや結婚式等のイベントスペースとしても活用されている。




所在地  / 山口県下関市南部町22-8
電話  /  083-222-0161

佐賀県唐津市 ・ 国指定重要文化財 「 旧高取邸 」

2017-05-08 15:07:27 | 近代化産業遺産・土木遺産

































































旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる
高取伊好 ( たかとりこれよし : 1850 ~ 1927 ) の邸宅である。
唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2300坪の広大な敷地に、
大きく2棟の建物が建っている。

平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査で
その重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けた。

和風を基調としながら洋間をあわせ持つという
近代和風建築の特色を備える一方、
大広間には能舞台を設けるなど独特の造りになっている。
また、杉戸絵や欄間などの意匠にも見どころが多いのが特徴である。



所在地  / 唐津市北城内5番40号
開館時間  / 午前9時30分〜午後5時 ( 入館は午後4時30分まで )
休館日  / 月曜日 ( 月曜が祝日の場合は開館、翌日休館 )
年末年始  / 12月29日から1月3日まで

※ 連休や年末年始には、特別開館する場合があります。

入場料  / 一般 510円 : 小・中学生250円
問い合わせ  / 電話番号 : 0955ー75ー0289