繁敷教会に行く途中の道にある手作りの看板
嘉永6 (1853) 年、岐宿村福見に住んでいたキリシタンの1家族が
同村籾の木への転住を願い出て許しをうけ、
開墾に従事しながら10年がかりで繁敷の地まで田を広げていったことから
繁敷教会の歴史が始まりました。
一家は樹木を切り倒し、すすきを刈り集めて掘っ立て小屋を建て開墾に明け暮れました。
その後慶応年間にはこの地に潜伏キリシタン達が集まってきて8世帯になり、
山を開いたことから 「 山ン田 」 と呼ばれるようになりました。
彼らは神仏の信仰を装いながら密かにキリスト教を守っていましたが、
五島における迫害の嵐はこの山奥の地にも例外なく押し寄せ、
明治3 (1870)年からは拷問、弾圧、田畑や財産の没収、
略奪など1年半近い厳しく辛い苦しみが待っていました。
苦難を乗り越えた信徒達は大正8 (1919)年、
現在地ではなく山のふもとの平地に最初の教会を建てました。
この教会は第二次大戦中、食糧増産のために繁敷ダムの建設が開始された折、
作業員の宿舎として使用されることになりました。
ところがその当時寝泊りしていた人の火の不始末で焼失してしまいました。
昭和18年か19年頃のことです。
その後信徒たちは昭和23(1948)年に教会再建にこぎつけましたが、
この教会も繁敷ダムの建設区域内という事で取り壊され、
この時点で多くの信徒が長崎市や外海町(現長崎市)方面に移住しました。
26年の歳月を経て昭和49 (1974)年、
繁敷ダムの脇を通りうっそうとした山道を登りつめた
僅かな土地に建てられたのが現在の教会です。
ダムを遥かに望む奥まった地の質素な教会は、
一見教会と呼ぶには簡素な建物に見えますが、
まさに一世紀以上に及ぶ信徒達の汗と苦難と信仰が刻み込まれた祈りの家なのです。
地元五島の人にもその存在をあまり知られていない教会ですが、
月に一度、水ノ浦教会の司祭がやってきて敬虔なミサが捧げられています。
現在は過疎と高齢化の波が押し寄せ僅かな信徒数になっていますが、
信徒達は教会を大切に維持し信仰を守り伝えています。
所在地 / 長崎県五島市富江町繁敷道蓮寺
教会の保護者 / 大天使ミカエル