「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

栃ノ心関、お疲れさまでした。

2023-05-19 18:41:00 | 相撲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、栃ノ心が引退した。

今場所は左肩から腕にテーピングがされていた。

そのため持ち前の左上手からの投げが打てず、

連日かなり苦しそうな相撲を取っていたので、

「ひょっとして引退するかも?」と思っていたが、

まさか千秋楽を待たずにいきなり引退するとは思ってもみなかった。

松鳳山や錦木と同期なので応援してきたが、

これでまた一人贔屓の力士がいなくなった。

ジョージアから来て大関まで務めた栃ノ心関お疲れさまでした。

 


福岡県築上町 「郷土力士の松鳳山が引退・・・」

2022-06-23 06:05:20 | 相撲

地元の物産館「メタセの杜」に掲げられた松鳳山の幟旗

 

 

 

 

 

 

 

メタセの杜で行われた三役昇進の激励会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇佐場所の松鳳山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小結まで昇進した郷土力士の「松鳳山」。

その松鳳山が昨日、引退を発表した。

今まで応援してきた力士だっただけに残念であるが、

現役最高齢の38歳まで相撲を取り続けたことを誇りに思う。

今後、相撲協会には残らないと言うので、

その姿を見るのも会見が最後かもしれない。

松鳳山関、無事引退おつかれさまでした。

 


元関脇 勢が引退

2021-06-22 04:59:41 | 相撲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元関脇の勢が引退を発表した。

勢いは2005年春場所初土俵で、12年春場所新入幕。

1メートル90を超える長身を生かした右四つを武器に幕内に44場所在位した。

十両だった今年初場所で左手親指を骨折して初土俵以来初めて休場。

関取の座を失い、春、夏場所は全休した。

敢闘賞4度、金星5個を獲得した。

荒磯親方(元横綱稀勢の里)、武隈親方(元大関豪栄道)ら実力者がそろう

1986年(昭和61年)生まれの「花のロクイチ組」の一人で、

美声を生かした歌唱力でも人気があった。

 

これは余談だが、

取組前の土俵では ” 白鵬 ” ではないかと思うほど、

四股やその呼吸までも全ての所作が完全にコピーされていた。

豪栄道に続き、難波の名力士がまた一人いなくなった。

 


山口県豊浦町出身の力士 「 豊響が引退 」

2021-06-07 18:20:15 | 相撲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊響の出身地の山口県豊浦町の隣に豊北町に特牛(こっとい)という地名がある。

その特牛のような ” こって牛 ” を思わせた豊響が引退した。

 

日本相撲協会は7日、元幕内の三段目・豊響(境川)の引退、

年寄「山科」の襲名を承認したことを発表した。

また、同日付で元幕内・佐田の富士の年寄「出来山」の襲名を発表。

引退会見は9日を予定しているという。  

豊響は山口・下関市(旧、山口県豊浦郡豊浦町)出身。

2005年初場所で境川部屋から初土俵を踏み、

07年初場所に新十両、同名古屋場所で新入幕を果たした。

幕内在位は52場所で、347勝403敗30休、敢闘賞3回。

金星は1個で、12年夏場所に白鵬から奪った。

183・4センチ、180キロ。得意は突き押しだった。

こって牛のような巨体から繰り出す豪快な突きは強烈だった。

豊響お疲れさまでした。

 


照ノ富士序二段から這い上がった優勝! 「 地獄を見た力士の復活劇 」

2020-08-02 21:22:24 | 相撲

師匠の伊勢ケ浜親方から渡される優勝旗を受け取る照ノ富士

 

 

 

 

 

 

優勝賜杯を手にする

 

 

 

 

コロナで異例の無言での国歌斉唱が行われる

 

 

 

 

 

 

今日、幕尻の番付の照ノ富士が5年ぶり2度目の優勝を果たした。

優勝経験者が関脇以下で2度目は44年ぶりの快挙だそうである。

大関で、しかも優勝経験者で、怪我や病気で序二段まで陥落していた力士が、

ここまで這い上がって来たのは奇跡に近い。

まして幕内復帰だけではなく、優勝という快挙まで達成した。

そんな地獄を見た人間の復活劇に感動した。

それはモンゴルとか日本とか言った垣根を超えたものだった。

 

 「 よくここまで・・・ 」  やって来れたと思う。

その地位も知っていたし、応援していたので、その感動もひとしおだった。

これは相撲に限らず、どんな世界でもいえることだと思う。

 ” 諦めたら前に進まない! ” 。だから諦めずに努力して前に進む。

その努力をするという気持ちと行動が賜物だと思う。

 

昔、スランプの時に先輩の青木宏親さんからアドバイスをもらったことがある。

 「 諦めんで努力ばしよっと、元おった位置まで戻るっけん、頑張らにゃんたい! 」

って言われた言葉を思い出した。

 


大和魂の大関 豪栄道 お疲れ様でした。

2020-01-28 21:00:43 | 相撲

 

 

 

 

 

 

 

33歳で初優勝を果たした徳勝龍の影に隠れた形になった同い年の豪栄道。

徳勝龍は幕尻からの快挙であったが、

豪栄道は9度目のカド番で負け越して大関からの陥落が決まったが、

それでも途中休場などで逃げることなく千秋楽まで相撲を取り続けた。

それは、まさに豪栄道が見せた ” 大和魂 ” であった。

これからは、その大和魂を胸に武隈親方として後進の指導にあたってほしい。

 

15年の力士人生と大関33場所在位を土俵に残した勇姿を僕らは忘れない。

豪栄道関、お疲れ様でした。

 


98年ぶり奈良県出身の優勝力士 「 徳勝龍 」

2020-01-26 17:41:11 | 相撲

 

貴景勝に勝って勝ち名乗りを受ける徳勝龍

 

 

 

 

千秋楽結びの一番で大関と幕尻の異例の対戦

 

 

 

 

徳勝龍の勝利に場内がどよめいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良県出身では98年ぶりの優勝となった徳勝龍。

前頭17枚目の幕尻での優勝は感動的だった。

応援していた熊本県宇土市出身の正代との決定戦を期待していたが、

貴景勝をやぶった徳勝龍が強かった。

今まであまり目立たない力士に日が当たったのは

他の力士のやる気にもつながったのではないかと思っている。

目的があれば無駄になる努力はひとつもない!

それを叶えた徳勝龍おめでとう!

 


福岡県築上町  「 松鳳山の幟 」

2019-05-13 17:54:18 | 相撲

 

 

 

 

 

注目の新大関の貴景勝が琴奨菊に勝って2連勝し、

一人横綱の鶴竜も勝って盛り上がる大相撲夏場所。

そんな夏場所の健闘を祈る松鳳山の地元の築上町に幟が立っている。

初日に栃煌山。そして今日は輝に勝って2連勝と好調である。

貴景勝など、新進の若手が活躍するなかで大変だと思うが、

最低でも8勝を挙げて勝ち越してもらいたいと思う。

 

 


横綱稀勢の里 お疲れさま。

2019-01-16 21:01:10 | 相撲

















初日から3連敗していた横綱稀勢の里が引退した。
19年ぶりの日本人横綱だったので、
その横綱にかける国民の期待は大きかったと思う。

苦しかったと思うが、
その苦しみは横綱になった者でしか味わえないものだから、
自分自身に誇りをもって生きて行ってもらいたい。

多くの相撲ファンに夢を持たせてくれた稀勢の里、お疲れさまでした。


福岡県田川市 ・ 炭坑節まつりで綿菓子を作る元貴乃花親方 

2018-11-03 13:41:19 | 相撲







































福岡県田川市で毎年 「 炭坑節まつり 」 が行われる。
先代の貴乃花時代からの付き合いがある 「 貴ノ花茶屋 」 。
そのご縁で九州場所では部屋を構え、
この田川の地で弟子たちを育ててきた。

炭坑節の発祥の地とも言われる炭坑節まつりでは、
毎年、貴乃花部屋の力士たちも輪になって炭坑節を踊っていた。

残念ながら親方を辞めた元貴乃花親方だが、
今年もこうして田川地域のためにわざわざ遠いところから駆けつけ、
お世話になった恩返しにと、自らが綿菓子を作り手渡しで販売に貢献し、
衰退していく炭坑町の活性化に一役も二役もかってくれている。

できれば来年も再来年も来てくれることを願っている。


貴乃花親方 「 問題提起の電撃引退 」

2018-09-25 18:41:59 | 相撲



福岡県田川市にある 「 ちゃんこ貴ノ花 」







大相撲の貴乃花親方(元横綱)が25日、
都内で、日本相撲協会に退職届を提出したと発表したことについての会見を開いた。
退職届を、年寄からの引退届と位置づけた上で、
今年3月に内閣府に提出した告発状が、
事実無根だったと認めるよう協会側から言われていたことが理由だったとした。

貴乃花親方によると、その後協会側から、
事実無根であることを認めないと
 「 親方を廃業せざるをえないという
有形無形の要請 」 を受けていたという。
協会の理事会では、
すべての親方は一門のいずれかに
所属しなければならない旨の取り決めがなされたが、
貴乃花親方の場合は 「 私は一門に入る条件として、
事実無根なことに基づいて出されたものとして
認めるよう言われておりました 」 と告白した。

この点が貴乃花親方には我慢できなかった。
 「 真実を曲げて、
告発は事実無根と認めることは私にはできません 」 とし、
 「 このままでは私はどの一門にも属することはできません。
このままでは相撲を続けることができなくなり、
弟子たちは安心して鍛錬、精進することができません 」 という現状を憂慮。
 「 断腸の思いではございますが、
貴乃花部屋の所属しております力士、床山、世話人は継承者である
千賀ノ浦部屋 ( 元小結隆三杉の千賀ノ浦親方が師匠 ) に
所属先を変更させていただき、
私、貴乃花は年寄を引退させていただく結論に至った次第です 」 と、
経緯を説明した。



鹿児島県徳之島  「 第46代 横綱 朝潮太郎の銅像 」

2018-04-04 14:24:12 | 相撲



故郷の徳之島町井之川に建つ 「 朝潮太郎の銅像 」









朝潮太郎の銅像がある井之川グスク












朝潮 太郎 ( あさしお たろう、
1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日 ) は、
本名・米川 文敏、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で、
高砂部屋に所属していた大相撲第46代横綱。
現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。
得意技は左四つ、寄り。

1948年(昭和23年)10月場所、本名の米川で初土俵。
当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚、
大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航、
奄美が返還されるまで兵庫県(神戸)出身と番付に書かれていた。
力士となってから故郷奄美の返還運動にも参加し、
奄美返還後は鹿児島県出身と書かれた。
濃い胸毛と太い眉毛で人気を博し、
当時は "一に朝潮、 二に長嶋、 三に三島由紀夫" と、
胸毛の濃い著名人を謳うフレーズが聞かれた。
東宝映画『日本誕生』に手力男命の役で出演したり、
週刊少年マガジン創刊号の表紙も飾った。
大阪場所で強く、「大阪太郎」と呼ばれた横綱だった。
優勝は5回あるがそのうち4回が大阪(あと1回は九州)、
横綱昇進を決めたのも大阪だった。



栃ノ心 優勝おめでとう!

2018-01-27 17:41:45 | 相撲











































ずっと応援して来た栃ノ心が優勝した。

今日、栃ノ心が松鳳山に勝って幕内13勝で1敗で最高優勝を飾った。
入門から12年、新入幕から58場所目の優勝だった。

栃ノ心は一番好きな力士で、サインを貰いに行った時に、
横綱や大関ではなく、平幕だった栃ノ心から、
「 ほんとにオレでいいの? 」 って、言われたことがある。
「 ハイ!お願いします! 」 と、色紙を差し出した。

一時は怪我で十両まで陥落したが、それでも幕内に上がって来て
こうして優勝してくれた。
本当に良かった。



今年のニュース  「 日馬富士暴行事件で引退 」

2017-12-30 18:02:45 | 相撲
















依然として揉めている角界だが、
九州場所の途中で暴行問題が発覚し、
突然の引退は不完全燃焼となったことだろう。

安馬から日馬富士になったころは
スピードのある素早い攻めが魅力的だった。

そして、横綱に昇進してから
「 全身全霊 」 という口上の言葉の如く、
制限時間いっぱいの塩では物凄いオーラが出ていた。
そのオーラを身にまとった横綱だった。


稀勢の里 寛 「 横綱という意識が優勝をさせた我慢の勝利 」

2017-03-26 18:44:08 | 相撲



新横綱として賜杯を受ける








国歌斉唱では、感極まって涙ぐむ





一昨日の日馬富士戦で痛めた左肩。
土俵に落ちた後、その光景に誰もが休場を予測した。
だが、そんな怪我を押して昨日も土俵に上がった。
そのことすら奇跡というか、無茶だと思った。
「 勝って欲しいが、これ以上悪化させて欲しくない。 」 と・・・

昨日の鶴竜戦を見ても 「 勝ち負けには程遠い 」 と思っていたが、
なんと、今日の照ノ富士との本割りで勝ち、
さらに優勝決定戦でも勝ってみせた。

その瞬間、膝を痛めても武蔵丸に勝って優勝した貴乃花の相撲を思い出した。
あの時と同じくらい感動した。

今日の稀勢の里の優勝は横綱という強い意識が後押ししたと思う。
そして誰もが予測しなかった優勝は、多くの人を感動させたに違いない。
それは今の時代ちょっとしたことでも ” 痛い痒い ” を言う若者と違い、
我慢すること、耐えることを信条とした昭和を思わせる稀勢の里の美学だと思う。

苦しい勝負を乗り切った優勝本当におめでとう!