「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

貴乃花親方 「 問題提起の電撃引退 」

2018-09-25 18:41:59 | 相撲



福岡県田川市にある 「 ちゃんこ貴ノ花 」







大相撲の貴乃花親方(元横綱)が25日、
都内で、日本相撲協会に退職届を提出したと発表したことについての会見を開いた。
退職届を、年寄からの引退届と位置づけた上で、
今年3月に内閣府に提出した告発状が、
事実無根だったと認めるよう協会側から言われていたことが理由だったとした。

貴乃花親方によると、その後協会側から、
事実無根であることを認めないと
 「 親方を廃業せざるをえないという
有形無形の要請 」 を受けていたという。
協会の理事会では、
すべての親方は一門のいずれかに
所属しなければならない旨の取り決めがなされたが、
貴乃花親方の場合は 「 私は一門に入る条件として、
事実無根なことに基づいて出されたものとして
認めるよう言われておりました 」 と告白した。

この点が貴乃花親方には我慢できなかった。
 「 真実を曲げて、
告発は事実無根と認めることは私にはできません 」 とし、
 「 このままでは私はどの一門にも属することはできません。
このままでは相撲を続けることができなくなり、
弟子たちは安心して鍛錬、精進することができません 」 という現状を憂慮。
 「 断腸の思いではございますが、
貴乃花部屋の所属しております力士、床山、世話人は継承者である
千賀ノ浦部屋 ( 元小結隆三杉の千賀ノ浦親方が師匠 ) に
所属先を変更させていただき、
私、貴乃花は年寄を引退させていただく結論に至った次第です 」 と、
経緯を説明した。



鹿児島県徳之島  「 第46代 横綱 朝潮太郎の銅像 」

2018-04-04 14:24:12 | 相撲



故郷の徳之島町井之川に建つ 「 朝潮太郎の銅像 」









朝潮太郎の銅像がある井之川グスク












朝潮 太郎 ( あさしお たろう、
1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日 ) は、
本名・米川 文敏、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で、
高砂部屋に所属していた大相撲第46代横綱。
現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。
得意技は左四つ、寄り。

1948年(昭和23年)10月場所、本名の米川で初土俵。
当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚、
大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航、
奄美が返還されるまで兵庫県(神戸)出身と番付に書かれていた。
力士となってから故郷奄美の返還運動にも参加し、
奄美返還後は鹿児島県出身と書かれた。
濃い胸毛と太い眉毛で人気を博し、
当時は "一に朝潮、 二に長嶋、 三に三島由紀夫" と、
胸毛の濃い著名人を謳うフレーズが聞かれた。
東宝映画『日本誕生』に手力男命の役で出演したり、
週刊少年マガジン創刊号の表紙も飾った。
大阪場所で強く、「大阪太郎」と呼ばれた横綱だった。
優勝は5回あるがそのうち4回が大阪(あと1回は九州)、
横綱昇進を決めたのも大阪だった。



栃ノ心 優勝おめでとう!

2018-01-27 17:41:45 | 相撲











































ずっと応援して来た栃ノ心が優勝した。

今日、栃ノ心が松鳳山に勝って幕内13勝で1敗で最高優勝を飾った。
入門から12年、新入幕から58場所目の優勝だった。

栃ノ心は一番好きな力士で、サインを貰いに行った時に、
横綱や大関ではなく、平幕だった栃ノ心から、
「 ほんとにオレでいいの? 」 って、言われたことがある。
「 ハイ!お願いします! 」 と、色紙を差し出した。

一時は怪我で十両まで陥落したが、それでも幕内に上がって来て
こうして優勝してくれた。
本当に良かった。



今年のニュース  「 日馬富士暴行事件で引退 」

2017-12-30 18:02:45 | 相撲
















依然として揉めている角界だが、
九州場所の途中で暴行問題が発覚し、
突然の引退は不完全燃焼となったことだろう。

安馬から日馬富士になったころは
スピードのある素早い攻めが魅力的だった。

そして、横綱に昇進してから
「 全身全霊 」 という口上の言葉の如く、
制限時間いっぱいの塩では物凄いオーラが出ていた。
そのオーラを身にまとった横綱だった。


稀勢の里 寛 「 横綱という意識が優勝をさせた我慢の勝利 」

2017-03-26 18:44:08 | 相撲



新横綱として賜杯を受ける








国歌斉唱では、感極まって涙ぐむ





一昨日の日馬富士戦で痛めた左肩。
土俵に落ちた後、その光景に誰もが休場を予測した。
だが、そんな怪我を押して昨日も土俵に上がった。
そのことすら奇跡というか、無茶だと思った。
「 勝って欲しいが、これ以上悪化させて欲しくない。 」 と・・・

昨日の鶴竜戦を見ても 「 勝ち負けには程遠い 」 と思っていたが、
なんと、今日の照ノ富士との本割りで勝ち、
さらに優勝決定戦でも勝ってみせた。

その瞬間、膝を痛めても武蔵丸に勝って優勝した貴乃花の相撲を思い出した。
あの時と同じくらい感動した。

今日の稀勢の里の優勝は横綱という強い意識が後押ししたと思う。
そして誰もが予測しなかった優勝は、多くの人を感動させたに違いない。
それは今の時代ちょっとしたことでも ” 痛い痒い ” を言う若者と違い、
我慢すること、耐えることを信条とした昭和を思わせる稀勢の里の美学だと思う。

苦しい勝負を乗り切った優勝本当におめでとう!



稀勢の里 「 横綱昇進おめでとう! 」

2017-01-25 16:48:29 | 相撲














大学や実業団で活躍した力士が多いなか、
中学校を卒業して角界入りした稀勢の里。
15歳で入門して力士として生きる道を選んだ者としての意地もあっただろう。
そんな ” 叩き上げ ” だからこそ、頑張って欲しいと思っていたし、
優勝して欲しいと思っていた。

横綱になれば、 ” 勝って当たり前 ” の横綱相撲が求められる。
今以上さらなる精進努力をして、誰もが誇れる横綱になってもらいたい。

大関時代は自分よりも格下にコロコロと負ける弱さを見せたが、
横綱になったらそういう訳にはいかない。
そのことを肝に銘じて 『 相撲道 』 に取り組んでもらいたい。
第72代横綱 稀勢の里


稀勢の里 「 念願の優勝おめでとう! 」

2017-01-21 18:18:52 | 相撲



初優勝を成し遂げた稀勢の里








貴ノ岩が白鵬を破った瞬間に座布団が乱れ飛んだ








白鵬を破った貴ノ岩の勝ち名乗り







優勝インタビューで右の頬を涙がつたった







腰高と言われた稀勢の里は、ただひたすらにすり足を繰り返す





 「 長い冬のあとに・・・ 」  稀勢の里 寛 



  長い冬のあとに
  雪解けがあるように
  優勝の呪縛が解けていった

  日本人力士で
  一番 優勝に近く
  そして横綱に近い
  そう言われ続けて5年以上
  その間に
  琴奨菊が優勝し
  豪栄道も優勝して抜いていった

  悔しい思いもしただろう
  焦りもあっただろう
  だけど寒い冬を耐えたからこそ
  春の喜びも大きい

  いっぱい いっぱい耐えた
  牛久の萩原 寛が 
  故郷に錦を飾る




平成29年初場所14日目より


今までずっと応援してきたから、
優勝が決まった瞬間に涙が出た。
本当に良かった。おめでとう稀勢の里

鹿児島県奄美市 ・ 里山と大奄美の出身校 「 赤木名中学校 」

2017-01-14 01:07:20 | 相撲



赤木名グスクの前にある里山や大奄美の出身の赤木名中学校















校舎の裏にある 「 秋葉神社 」





奄美大島の北部にある笠利町赤木名。
この赤木名中学校の裏山には赤木名グスクがあり、
何度か訪れた場所である。
丁度、昼休みの掃除の時間に
奄美の民謡 「 朝花節 」 が流れていたのが、
すごく印象に残っている。

その赤木名中学校出身の力士が里山と大奄美である。
どちらも昨日の時点で5勝1敗と今場所は好調で、
贔屓力士の成績がいいとビールも旨い。
あと3つ勝って一日も早く勝ち越しを決めて欲しいものである。



「 遠藤 白鵬を敗る 」

2016-11-18 18:11:12 | 相撲



横綱・白鵬に勝って勝ち名乗りを受ける遠藤





全勝の白鵬を1敗の遠藤が敗った。
土俵際は力が入った。
昨日、日馬富士に喉輪で一方的に押し出されたが、
今日は立ち会いから素早い出足で、一気に決めた。
豪栄道は負けたけど、両者とも期待の星だ。

大金星 ” 遠藤関 おめでとう! ”




「 豪栄道 優勝おめでとう! 」

2016-09-24 18:19:59 | 相撲

















































関脇時代から応援し続けてきた豪栄道が優勝した。
下馬評では、稀勢の里の綱取りばかりに話題が及んで、
豪栄道の ” カド番 ” というレッテルが評価を下げていた。
もともと豪栄道は、勝って当たり前の力がある力士なのに、
空回りばかりで、 「 勝たないと 」 という気持ちが
余計に相撲を守りに回らせ、小さくした。

以前、大関になった時に 「 強い力士 」 ではなく、
 「 負けない力士 」 になって欲しい。
最低でも3打数2安打の10勝5敗以上をノルマにと、書いたことがあった。
今場所は、よく辛抱して頑張った。
本当におめでとう!

この優勝に満足すること無く、精進努力を積み重ねて、
負けない力士になってもらいたい。




 『 念ずれば 花ひらく 』 



   中学、高校と
   相撲界で優等生ゆえに
   将来を期待された重圧と
   勝てない苦しさ

   綱取りどころか
   勝ち越しの綱渡り
   そんな辛い過去を払拭した
   やっと掴んだ十四日目の勝利は
   「 優勝 」 という
   特別な勝利となった

   『 念ずれば 花ひらく 』
   この言葉に含まれた
   八字十音に想いが開いた




   平成28年9月24日
   大相撲秋場所 ・ 両国国技館にて


勢が唄う相撲甚句 「 双葉山 」

2016-09-14 10:52:51 | 相撲



69連勝の記録を持つ昭和の大横綱 「 双葉山 」










白鵬が休場し、稀勢の里と両横綱が有利と思われたが・・・
いざフタを開ければ波乱続きで、
誰が賜杯を手にするのか混沌としてわからない。

勢いは豪栄道と同じように、力はあるのに相撲がバタバタして、
地に足がついていない感じがする。
もっと、どっしりと構えて自信を持って相撲にも、
自分にも向き合ってほしいものである。

勢いは、角界きってのイケメン力士で、歌も上手い。
そんな勢いが唄う相撲甚句は、
69連勝の記録を持つ双葉山だ。



白鵬 「 この国の魂と相撲の神様が認めた32回目の優勝 」

2014-11-23 22:14:41 | 相撲



これぞ横綱








強い白鵬が感極まって泣いた





優勝が決まって土俵から降りる時点まで感情を抑えていたが、
国歌斉唱でそれまで抑えていたものが一気に溢れ、
強い白鵬の頬に涙が伝い落ちた。

その後のインタビューで、
「 この国の魂と相撲の神様が認めてくれた結果 」 と、
日本人以上に日本人らしいコメントだった。

白鵬のプレイバックの映像に中島みゆきの 「 麦の唄 」 が重なり、
より一層の感動を呼んだ。

白鵬32回目の優勝、本当におめでとう!

大和魂の豪栄道が大関に

2014-08-01 04:33:41 | 相撲








前もって期待されると弱い日本人力士。
それを代表するかのような豪栄道が大関になった。

豪栄道 ( 本名・沢井豪太郎 ) は、大阪府寝屋川市出身の28歳。
埼玉栄高校を卒業後の05年初場所で初土俵を踏み、07年秋場所で新入幕。
12年夏場所から昭和以降で最長となる14場所連続で関脇に座った。
名古屋場所では白鵬、鶴竜の2横綱を破るなど12勝(3敗)を挙げ、
直近3場所の勝ち星を32勝とし、今回の大関昇進が確定した。


豪栄道は稀勢の里と同じように日本人力士の中で将来を期待されているが、
強さと弱さが同居する不安定な取り組みが続き、
千秋楽を7勝7敗で迎えるような綱渡りの勝ち越しが多かった。
強い時は滅法強いが、弱い時は格下相手でもコロコロ負ける。
力があるのに、本当に強いのか弱いのか解からない力士である。
それだけに彼に期待するのは、 「 強い力士 」 ではなく、
これからは格下には取りこぼしをしない。
最低でも3打数2安打。10勝5敗以上をノルマにしてもらいたい。
そのためには大型連敗をしない 「 負けない力士 」 になることを願っている。




「 祝!十両優勝・豊真将 」

2014-03-25 05:09:41 | 相撲






豊真将は勝っても負けても角界一所作のきれいな力士である。
それは本人の性格を表しているものだと思う。

豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき、1981年4月16日 - )は、
山口県豊浦郡豊浦町(現在の下関市)出身で錣山部屋所属の現役大相撲力士。
本名は山本 洋介(やまもと ようすけ)。
身長185cm、体重147kg、得意手は右四つ・寄り。
四股名の由来は、〈豊〉は合併のため消滅した豊浦町から、
〈真〉は本人の心、〈将〉は大将、
〈紀〉はものごとの初めを意味する出身校の監督の一字、
〈行〉は父から一字をもらったもので、父母への御礼に従うという意味が込められている。
ニックネームはマショー。最高位は東小結(2012年5月場所)。
趣味は読書、史跡巡り。好物は栗おこわ。


地元の旧豊浦町立豊浦中学校(現在の下関市立夢が丘中学校)には
校庭に立派な土俵小屋があり、山本少年はそこで高校生らと混じって鍛えられ、
地元の大会でも優秀な成績を修めていた。
そのときの後輩には境川部屋の豊響(本名:門元隆太)がいる。
中学卒業後は誘いを受けた埼玉栄高等学校に進学し故郷を離れた。

埼玉栄高校では全国大会に出場して活躍し、
学業では学年約1600人中一桁の成績を取るなど、文武共に優秀であった。
その後日本大学に進学、入学当初からレギュラー格で活躍するも、
蜂窩織炎の悪化により1年で相撲部を退部。
一時は相撲を諦め、警備員や鳶職などアルバイト中心の学生生活を送っていた。
日大相撲部の同期には白石(のちの白乃波)や里山がいる。

蜂窩織炎の状態が良化した頃、白石と里山の大相撲入りに触発され自身も再び相撲を志す。
大学を中退してアルバイト先の社長の紹介で開設されたばかりの錣山部屋に入門し、
2004年3月場所に前相撲から初土俵を踏んだ。
この時新弟子入門期限間近の22歳11か月であった。

約3年相撲から離れていたこともあり、
入門当初は母校でもある出稽古先の埼玉栄高校で、
エースの澤井豪太郎(現在の豪栄道)に歯が立たず、
1年生の佐野マービン・リー・ジュニア(元:幕下大翔勇、現在のマービンJr.)にさえ
分が悪いなど苦労したこともあったが、その年の11月場所では三段目で全勝優勝。
スピード出世で番付を上げ、翌2005年1月場所、初土俵から5場所で幕下に昇進。
幕下上位でも安定した成績を残し、同年11月場所には東幕下3枚目まで番付を上げ、
5勝2敗と勝ち越し。続く2006年1月場所で十両に昇進した。
その場所も好調で東十両12枚目で10勝5敗と勝ち越し、
翌3月場所も12勝3敗と惜しくも十両優勝を逃したが大勝した。
5月場所、初土俵からおよそ2年で新入幕(東前頭11枚目)。

豊真将の入幕は山口県出身力士としては35年ぶりだった。
そのため、地元旧豊浦町とそれを引き継いだ今の下関市はもちろん、
山口県全体で応援をしている。
NHK山口放送局のニュース番組では、場所中連日その日の取り組みの結果が、
豊響ら他の郷土力士の分とともに伝えられ、
特に「やまぐち845」では、トップ項目で扱われる日もある。

新入幕の場所で脚を傷め、また立ち合いに迷いが出たこともあって、
入幕直後は下位でややもたついていたが、
入幕4場所目の2006年11月場所は一躍成長を見せた場所になった。
初日に豊ノ島に敗れたが、その後は11日目まで10連勝で全勝の横綱・朝青龍を追った。
12日目に初めての大関戦となる栃東(現在の玉ノ井)との一番に敗れ2敗に後退したが、
その先も崩れず、優勝はならなかったものの14日目まで朝青龍の優勝を引き伸ばした。
12勝3敗の優勝次点の成績と相撲内容が評価され、敢闘賞と技能賞を同時に受賞した。

2007年1月場所は西前頭4枚目の地位で3日目には大関・琴欧洲を初対戦で破ったものの、
7勝8敗と負け越した。
翌3月場所は1月場所に続き、琴欧洲を始め幕内上位力士を相手に内容のいい相撲で
好成績を残し、11勝4敗の好成績で2度目の技能賞を受賞した。
新三役の可能性があったが、西関脇で7勝8敗だった琴奨菊が西小結、
西前頭筆頭で8勝7敗だった豊ノ島が東小結となったため、
翌5月場所は東前頭筆頭に据え置かれた。
その場所は9日目に大関・千代大海との初対戦で勝利したが、
終盤の4連敗で5勝10敗と大きく負け越した。
9月場所は西前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、新三役への昇進が確実と見られたが、
西前頭3枚目で10勝5敗の琴奨菊が西小結となったため、
11月場所での小結昇進は見送られた。

翌2007年11月場所では東前頭筆頭で3勝12敗、
翌2008年1月場所では西前頭7枚目で4勝11敗と2場所連続で大敗を喫した。
後にこの不振は血中コレステロール値の異常と
その投薬治療によるものであったことが明かされた。
投薬治療を食事療法に切り替えてからは、3月場所、5月場所、7月場所を
いずれも9勝6敗と勝ち越した。

2008年7月場所後に左手首を手術したが、術後の経過が思わしくないため、
翌9月場所は西前頭2枚目の地位ながら自身初の休場(全休)となり、
再出場の11月場所も負け越したが、
幕尻(東前頭16枚目)に下がった2009年1月場所は11勝4敗の好成績をあげて
2度目の敢闘賞を受賞した。
2009年3月場所は序盤まで2勝3敗だったが、6日目からの9連勝で11勝4敗の好成績をあげて、
2場所連続3度目の敢闘賞を受賞し新三役の可能性があったが、
5月場所は東前頭筆頭に据え置かれた。
この場所は初日から14連敗と苦しんだが、
千秋楽の嘉風戦に勝利して1991年7月場所の板井以来となる15戦全敗は免れた。
取り組み後、豊真将は涙ぐみ、館内は大歓声に包まれた。

2010年5月場所で東前頭2枚目に番付を上げたが場所前に首を痛め、
初日から1勝もできないまま7日目から休場した。

2010年7月場所では東前頭13枚目まで番付を下げたが、初日から10連勝し優勝争いに加わる。
14日目の徳瀬川戦に敗れるまで幕内優勝の可能性を残し、
最終的には11勝4敗で4度目の敢闘賞を受賞した。
翌9月場所は東前頭2枚目で7勝8敗と負け越した。

2010年11月場所前には、深刻なアクシデントに見舞われた。
10月23日の秋巡業、尼崎場所で右足親指の傷口からばい菌が入る破傷風で、
30日に突然41度を超す高熱が出た。病院に駆け込んだが、
一時は意識を失うほどの重い症状で、生死をさまよう体験もした。
豊真将自身「三途川で、死んだじいちゃんが出てきた。
あんなことは人生で初めてだった…」と語った程だった。
3日間高熱はひかなかったものの完治して退院、場所前には出稽古ができるまでに回復した。
同年11月場所では東前頭3枚目で7勝8敗と負け越したが、
2大関(琴欧洲・把瑠都)に土をつけた。
なお、琴欧洲戦の勝利は2007年3月場所以来、把瑠都戦の勝利は2006年11月場所以来。

2011年7月場所は東前頭9枚目で11勝4敗の成績を挙げ、5回目の敢闘賞を受賞した。
翌9月場所では、東前頭筆頭で10勝5敗と2桁勝利を挙げ、
同年11月場所でようやく待望の新三役(西小結)昇進を果たした。
なお30歳6ヶ月での三役昇進は、1958年以降初土俵の力士としては第4位の高齢昇進だった。
しかし新小結の11月場所は初日から7連敗を喫し、
中日でやっと初白星を挙げるも9日目で負け越しが決定、4勝11敗と大きく負け越した。
東前頭4枚目へ降下した翌2012年1月場所でも7勝8敗と負け越したが、
翌3月場所は西前頭5枚目で11勝4敗の好成績を挙げ、翌5月場所は3場所ぶりに三役復帰、
現在最高位となる東小結に昇進したが、
横綱・大関陣は1人も下せず4勝11敗と大きく負け越した。
11月場所は3場所ぶりに三役復帰(西小結)したが、4勝11敗と大きく負け越した。
翌2013年1月場所は左肩腱板断裂により全休し、翌3月場所は初めて十両へ陥落した。
その場所も怪我が完治しなかったため全休した。
幕下落ちも懸念されていたが、翌5月場所の番付には西十両14枚目と十両にとどまった。
その場所では中盤に4連敗したがその後持ち直し、9勝6敗と勝ち越した。
翌7月場所も9勝6敗と勝ち越し、次の9月場所には西前頭13枚目まで大きく番付を上げた。
西十両6枚目から9勝6敗で9枚の上昇は異例である。
その9月場所では9日目に左肩のテーピングが取れ、
10日目に1年ぶりの幕内勝ち越しを決めるなど
調子を万全に近いところまで戻した様子がうかがえた。
最終的に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。
2014年1月場所前の1月3日には虫垂炎の手術を受け、
場所直前の様子は師匠によると「手術した傷口がまだ塞がっていないので、
今場所は、途中から出場することも厳しいと思う」と言い、
このため豊真将は1月場所を休場することを選択した。
そして今場所は2度目の十両陥落となったが、奮起し14勝1敗で優勝した。

以上の経歴を見てもお解かりだと思うが、怪我に泣かされた続けた相撲人生だと思う。
普通の人ならば、心が折れてしまうところだが、
何度も立ち上がり復帰する精神力は凄いと思う。

この経歴を見ると応援せずにはいられない。
三役復帰を目指して頑張れ!豊真将!



「 祝!大関鶴竜 初優勝」

2014-03-24 00:02:41 | 相撲













不安だった序盤戦とは打って変わって
日ごとに強さを増した鶴竜。
モンゴルから日本にやって来て12年。
幕内時代は小柄だったが、
肉体改造でひと回り大きくなった。
そして、やっと手にした賜杯。

今まで優勝に手が届く位置まで行きながら
なかなか手にすることが出来なかった。
それをやっと手にすることが出来た優勝だ。

それは、これまでコツコツやって来た結果が花開いた証でもあった。
今までの努力が結果に表れて本当に良かった。
鶴竜の初優勝を心から祝いたい。
「 優勝おめでとう!鶴竜 」