「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市門司区  ・  近代土木遺産 「 JR九州・門司港駅舎 」

2012-10-31 14:31:15 | 近代化産業遺産・土木遺産






























































































































竣工   /  1914年 ( 大正3年 )
設計者 /  鐵道院九州鉄道管理局
■ 国指定重要文化財 ・ Aランク近代土木遺産



ヨーロッパの始発・終着駅に多く見られる頭瑞式の門司港駅は、
九州の鉄道起点に相応しい駅である。
もっとも明治24年の開業時には、今よりも200mほど南東にあったもので、
貨客数の増大によって貨物と旅客を分離し、
旅客に関しては関門連絡船への乗換えを便利にするために駅を移動したという。
そうして新築されたのが現在の門司港駅である。

戦時中に関門トンネルが開通するまでは門司駅を名乗っていたといわれる。
駅舎はネオ・ルネッサンス様式の木造建築で、天井の高いホール部や青銅製の手水鉢、
それに水飲み場や洗面所も歴史を物語っている。
門司港駅は九州の玄関口として、
またレトロな街の象徴として活きる素晴らしい駅である。




大分県国東市  ・  涛音寮の 「 蛸めし御膳 」

2012-10-31 14:11:40 | グルメ



涛音寮の 「 蛸めし御膳 」













ここで一句 「 皆の衆 揃ってお食事 おいしいな! 」







食事の場所は、土間、テーブル、縁側を自由に選べる










この日は、蛸めし御膳・刺身つき ( 涛音寮御膳 ) を注文した。
来寮される方のほとんどが女性で、
丁度昼どきで混んでいたが、場所が場所だけに静かな昼食だった。
その多くが、庭を愛で、家具を愛で、芸術を愛でながら、
食事を味わったのであろう。

味もさることながら、女の高笑いもなければ、
雲雀のような喋りもない落ち着いた食事が出来たことがなによりだった。



白馬列伝 ⑦  ホクトヘリオス

2012-10-31 14:03:42 | 競馬・ボート








『 白い稲妻 』  ホクトヘリオス



黒っぽかったデビュー戦
だんだん灰色に変化して
時の流れを感じさせる

汚れたコンクリートの壁から
出て来たような馬は
素晴らしいスピードで駆けて行く

サッカーボーイの次に強かった
マイルチャンピオンシップの鋭さは
今も脳裏に焼き付いて
爪の先までシビレさせる



ホクトヘリオス
父 パーソナリティ
母 ホクトヒショウ




熊が出るぞ~ 『 熊出没注意 』 ラーメン

2012-10-31 13:41:10 | ラーメン・うどん・そば




























熊出没注意ラーメンちゃ、またインパクトのある名前をつけたもんやな~
そげん思いながら、徳之島にいる友だちのイサムさんのBBSを見ていた。
なんでも北海道のインバナリさんから送って来たものらしいが、
それが徳之島では “ 旨い ” と評判みたいだったので、アマゾンで注文してみた。

送って来たが、塩味のラーメンを作った時に食べることばかりに気が走って、
写真を撮り忘れてしまった。
それで今回は醤油味で攻めてみた。
今度はバッチリ撮ったし、味も文句なしであった。
特に麺のノドごしが良くて、 「 ちゅるちゅる シコシコ ごっくん! 」 って言う感じである。

塩、味噌、醤油の3種類は、これから寒くなる季節に日替わりで食べたいものである。



熊出没注意ラーメンは、北海道旭川市永山北2条7-7
藤原製麺株式会社
フリーダイヤル: 0120-26-5485

ちなみに価格は10個入りで1800円くらいです。



沖縄県久米島  「 伊敷索 ( ちなは ) グスク 」

2012-10-30 13:43:02 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡















































「 久米島自然文化センター 」 の横にある伊敷索グスクの遠望







グスクの前にある 「 久米島自然文化センター 」





伊敷索グスクは、嘉手集落の北西にある石灰岩の丘陵地上に築かれたグスクであり、
グスクの背後には白瀬川が流れている。
グスク内は高さ2メートルの石垣が直線的に築かれており、三つの郭で構成されている。
野面積みの石垣で出来た城門は三の郭にあり、雑草と潅木に覆われ昔日の面影が揺れていた。

『琉球国旧記』によると、久米島に伊敷索按司なる者あり、
久米の長となり、四子ありて長男を兼城大屋子(かねぐすくおおやこ)といい、
二男を中城按司といい仲里グスクを築き、三男を具志川按司といい具志川城主となり、
四男を笠末若茶良といい登武那覇の地に居住す。と記されている。

また、伝えられるところでは、伊敷索按司は中山の英祖王統四代目の玉城王の庶子(妾の子)で、
久米島方六群(仲里・具志川・粟国・渡名喜・座間味)を与えられ、この地にグスクを築いたという。
子孫に宇江城・具志川・登武那覇の各グスクを築かせて、大きな勢力を誇っていたと伝えられる。


伊敷索グスクへのアクセス
伊敷索グスクへは、県道242号線を兼城港より大港橋を渡り、
久米島消防署の先を左に曲がり、約300mほど行ったところにある。
駐車は、久米島自然文化センターの駐車場に駐車できる。



福岡県うきは市  「 道の駅・うきは 」

2012-10-30 13:29:49 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣
























イベントのために飾られていた手づくり人形





杷木町にある 道の駅・原鶴 と浮羽町にある 「 道の駅・うきは 」 とは、
直線距離にして3キロほどしか離れていない。
それでも、それぞれの特色があり、良さがある。
原鶴では果物や地酒を、浮羽では豚足や鯖すしなどを買っている。
その他にもいろんな美味しい物や変わった物もあって、
どちらも良い 「 道の駅 」 である。

特に 「 うきは 」 の物見台からの眺望は素晴らしく、
ここに来ると必ず缶コーヒーを飲みながらしばらく眺めている。



ムサシ、2回目のワクチンへ・・・

2012-10-30 12:55:16 | 柴犬 ムサシとピース



今日は9種のワクチン注射を打った









1ヵ月前の6種のワクチンを打ったとき





今日2回目のワクチンの注射を打ちに動物病院へムサシを連れて行って来た。
日ごろ首輪をつけていないので今日は首輪を嫌がったし、
なかなか病院に入ろうとはしなかった。
そして診察台に乗せられると、尻尾を下げていた。
日ごろヤンチャで無鉄砲なムサシだが、結構ビビリ屋である。
その点、臆病なピースは最初から落ち着いたもので堂々としていたから、
解らないものである。


毎日見ているとなかなか分からないが、
こうして1ヵ月前と比べてみると
明らかに成長しているのが分かる。

写真では解りにくいが、
実際に見ると毛並みが1ヵ月前とは比べ物にならないほどツヤが良くなっている。
散歩のゴーサインが出たので、2、3日してからボチボチ散歩に出てみようと思っている。
そうすればトモの辺りに筋肉がついて、見映えも良くなるだろうし、
何よりひ弱な後肢もシッカリとしてくるだろう。



大分県日田市  「 日田ん梨 」

2012-10-30 12:43:19 | 日記 ・ イベント







先週、日田に立ち寄ったときに梨を買って帰った。
大きい方は赤ん坊の頭くらいの大きさがあり、
一人ではとても食べきれない大きさである。
しかもジューシーで甘くておいしいから言うことなしである。

小さい方は握りこぶしくらいの大きさで、
大きい梨ひとつの値段と小さい梨4個と同じくらいの値段だったような気がしたが、
どっちも旬なのでジューシーでおいしかったし、なにより産直なので新鮮だった。




福岡県朝倉市   「 第十五代横綱・初代 梅ヶ谷藤太郎の像 」

2012-10-29 09:23:45 | 相撲



第十五代横綱・初代 梅ヶ谷藤太郎の銅像



















先日掲載した杷木町の 道の駅・原鶴 の横の駐車場に、
第十五代横綱、初代の梅ヶ谷藤太郎の像が建っている。

梅ヶ谷 藤太郎 ( うめがたに とうたろう ) 、本名は小江 藤太郎 ( おえ とうたろう ) は、
1845年3月16日に、筑前国上座郡志波村梅ヶ谷で生まれる。
にわかには信じがたいが赤子の頃から石臼を引き摺るほどの怪童で、
母乳や菓子より酒を欲しがったため、酒で育てられたという。
7歳で大坂相撲に引き取られて 「 梅ヶ枝 」 を名乗るが、その後に湊部屋へ入門する。
入門と同時に四股名を、故郷・志波村梅ヶ谷に因んで「梅ヶ谷」とする。
明治維新後の1869年3月場所に大坂相撲で新入幕を果たし、いきなり小結となる。
大関になったあと、1870年の暮れに東京相撲へ加入して玉垣部屋に所属するが、
本中に据えられてしまう。
陣幕久五郎が大坂にいたことで、
大坂から来た力士は誰とも構わず嫌われていたこともあるが、
当然ながらこの地位では敵などおらず連戦連勝、
1874年12月場所で新入幕を果たすと、8勝1分の優勝相当成績を挙げた。

1876年には福岡県で興行を行っていたところへ秋月の乱に遭遇、
力士と反乱氏族の戦闘になったが、梅ヶ谷は動じずに平定に活躍して争いを収めた。
1877年6月場所に小結、12月場所に関脇になると両方で全勝を挙げ、
1879年1月場所の新大関昇進を挟んで、1880年5月場所でも全勝を挙げる。
この間、1876年 - 1881年にかけて58連勝 ( 分・預・休は除く ) を記録し、
若嶌久三郎に敗れて記録が一度止まるも、1884年5月場所まで35連勝を記録した。

同年2月には吉田司家と五条家の両方から横綱免許を授与されたが、
梅ヶ谷は吉田司家の免許を希望し、これが司家争いの結果を決めたと伝わる。
3月に行われた明治天皇の天覧相撲では、
伊藤博文が用意したまわし ( 自前のまわしが間に合わなかったという ) で
土俵入りを披露した。
土俵入り後、明治天皇のリクエストで大達羽左エ門との割が組まれたが
大熱戦の末に引き分けとなって天皇は大喜び、
明治維新で低迷していた相撲人気も回復した。
1885年5月場所を最後に引退し、年寄・雷を襲名した。

引退後は東京大角力協会の最高職だった取締を長く務め、
1915年6月場所で弟子の梅ヶ谷藤太郎が引退すると部屋と年寄名跡を譲って廃業したが、
協会は 「 大雷 」 の尊称を贈り、相談役待遇として接していた。

弟子である梅ヶ谷藤太郎が没してから9ヶ月後、1928年6月15日に死去。83歳であった。
還暦が長生きの基準だった時代の力士としては非常な長命で、
横綱の長寿記録として現在でもまだ破られていない。

梅ヶ谷藤太郎は、巨体とも伝わるが、実際には歴代横綱の中で小柄な方。
右上手を浅く引きつけ、左は筈かのぞかせて寄る堅実な取り口だったとされている。

前述の通り58連勝を記録するなど、明治前期の相撲黄金時代を支えた第一人者である。
2012年現在でも双葉山定次の69連勝、
谷風梶之助・白鵬翔の63連勝に次ぐ歴代4位の記録だが、
当時は連勝記録への関心が薄く、ほとんど取り上げられなかった。
赤子時代の逸話はこの強さから生み出された後世の創作かもしれない。


戦前どころか、明治初期のことではあるが、
福岡県には、名大関・魁皇以外にも
こんなに強い力士がいたことを多くの人に知ってもらいたい。




沖縄県津堅島  「 津堅島のニンジン展望台 」

2012-10-29 09:08:13 | 離島めぐり



島内が一望できる 「 ニンジン展望台 」









島内に広がるニンジン畑
























津堅島は、沖縄県の中部勝連半島の南東約5キロの中城湾の沖合に位置し、
面積1.88km²、周囲7.0km、人口485人(2005年国勢調査に基づく)の島である。
ニンジンの生産が盛んであるため、キャロットアイランドの別名を持っている。

1945年に起きた沖縄戦の際、津堅島は激戦地となり、
島民は1949年まで沖縄本島に強制移住させられた経緯をもつ。
2005年4月1日に勝連町がうるま市の一部となり、
中頭郡勝連町津堅だった住所表記がうるま市勝連津堅となる。

これは余談であるが、
津堅島の歌手、神谷幸一さんが唄う 「 キャロットアイランド 」 は、いい歌である。



白馬列伝 ⑥  ジュサブロー

2012-10-29 09:00:04 | 競馬・ボート








「 白い刺客 」  ジュサブロー



東海公営から
オールカマーに乗り込んで
中央のつわものと一戦まじえて
荒武者ぶりを発揮する

凍るほど白い馬体が
冷たく光り
白い刺客を思わせる
力の違いを見せつけた
地方からの客人が
今度は世界を脅かす




ジュサブロー
父 シーホーク
母 サウンドレット


北九州市門司区  ・  門司港 「 出征軍馬の水飲み場 」

2012-10-28 08:24:49 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



門司港 「 出征軍馬の水飲み場 」









「 門司市・畜産組合馬水飲場 」 と書かれている




















多くの観光客で賑わう門司港の西海岸。
その通りに面した場所に、かつて “ 御国のため ” に出征した馬が
ふるさとでの 「 最後の水 」 を飲んだ場所がある。

戦前より交通の要所であった門司港からは、
戦時中に多くの軍用馬が戦地へ渡って行った。
それは、人よりも大きな力を発揮する馬が、
貨物の牽引や兵士を乗せて働くためであった。
その数は百万頭にも及ぶともいわれている。
これらの馬は生きて故郷へ帰ることはなかった。
当時は、こうした水飲み場が付近に数ヵ所あったようだが、
現在はここ1ヵ所だけしか遺されていない。

この時代は、馬だけではなく犬も軍用犬として出征していた。
以前テレビでドラマ化された 「 アルマ 」 という軍用犬の話しであったが、
家で家族同然に育てられた犬や馬が出征して行くのは、
育てた者からすれば、身を切る思いだったろう。


ボクは、門司港駅に向かう足を止め、
母国に帰ることなかった馬たちを悼み、そっと手を合わせた。




『 涛音寮 ( とういんりょう ) 』 から伊美の芸術が始まる

2012-10-27 11:00:56 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



くにさき伊美の芸術は、ギャラリー『 涛音寮 』 から始まる








伊美川から 「 涛音寮 」 の遠望











































二階から三階に続く急な階段












三階からの眺める伊美の町並み






上から見た涛音寮の庭

















涛音寮は国見町という国東半島の最先端、姫島と連絡している伊美港の近くにあり、
町中の中心部を伊美川が流れ、その伊美港に注いでいる。
後の山側の遠くを見れば南は両子山、北は周防灘に面している。
また、古くから国東半島六郷満山 (奈良時代は九縄、田染、安岐、武蔵、国東、伊美 の六郷 からなる
宇佐八幡の荘園)の仏教文化の街として栄えていました。
古来からの仏教遺跡などの文化財は今なお数多く点在する歴史豊かな地域でもある。

江戸時代末期の頃、伊美を中心にした一帯は瀬戸内海の
海上交通の西の拠点として栄えていました。
その頃、回船問屋として商売をしていたのが重光伝兵衛という人物である。
伝兵衛から代を受け継ぎ、明治の初期、今から140程前に、
橋本屋の主屋として天守閣に似た城造りの木造 3階建の見事な建物を築いたのが重光銀九郎である。
通称三階屋は、明治初期の建物としては規模の大きな木造3階建で、
特長的なのが天守閣のような外観が人目をひく3階部分である。
富の象徴という意味もあったが、
造り酒屋という商売そのものが大規模な設備と多くの人間を必要とする仕事であり、
当然そこで働く人たちを収容するにも大きな建物が必要だったのだろう。

現在の涛音寮は、 正式には純真学園国見研修所・涛音寮として平成9年4月オープンしたもので、
純真学園は福岡市にある学校法人で重光家の親戚 にあたる福田敏南氏 が前理事長を務めていた。
涛音寮になる以前、純真学園の国東寮になってからのほぼ10年間は空き家状態であったが、
国東半島の芸術・文化の交流の場になればという氏の理解があって、
痛んだ三階屋を丸2年を費やし全面的に修復復元したものである。
今では国東固有の文化に接することのできる憩いの場として多くの人が訪れるようになっている。

ここを拠点に表具作家の和田木乃実さんが活躍している。
彼女は表具作家であるが、自身は飾らず一生懸命に働く素敵な女性である。



福岡県朝倉市  『 道の駅 ・ 原鶴 』 とその界隈

2012-10-27 10:37:37 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



「 道の駅 ・ 原鶴 」 ( ファームステーション・バサロ )






















フツー 「 道の駅・原鶴 」 と呼ばないで、簡単に略して「バサロ」と呼んでいる。

そんな 「 道の駅・原鶴 」 の中に入れば、
いたるところに杷木町特産の柿が並んでいる。
通称・ “ 志波の柿 ” で通っており、ブランド品である。
そんな柿にもいろんな種類があって、
富有柿 ( ふゆがき ) だけだと思っていたら、
松本、伊豆、西村、太秋などの種類が置かれてあった。
去年もだったが、「 富有柿は11月ん霜の降りるごとなってからが旨か! 」 って言われた。
「 あ~そげんだった 」 と思いながら箱を持ったが、
「 来月は仕事んあるけん、まぁ、よかたい! 」 とは思ってはみたものの、
やっぱ、「 来年は11月の寒か時に送ろう 」 と、思った。






「 道の駅・原鶴 」 の裏を流れている筑後川の河川敷










以前、競輪選手をしながら建設業を営んでいた。
そのとき、土木組合の会員の忘年会や総会が原鶴であって、
何度か泊り込みで原鶴温泉に来たことがある。
屋上にある風呂に入って、筑後川を眺め、
その筑後川で屋形船に乗って鵜飼いを楽しんだこともあった。




10月27日 今日も元気なムサシ

2012-10-27 10:25:51 | 柴犬 ムサシとピース


10月27日 今日のムサシ










ムサシは日に日に大きく、元気になって行く・・・


来月からの下水工事の下請けが決まった。
家屋調査や公共枡の位置などを決めるのですぐには工事にかかれない。
だから、もうしばらくムサシと一緒に居る時間が持てそうである。

ピースの時は、5年間同じ部屋で寝起きを共にし、
人間と同じような生活をしていたから、
ムサシは今のまま玄関で育てようと思っている。
これから散歩に行けるようになれば、
毎日、朝夕それぞれ1時間の散歩と庭で放し飼いをするので、
ストレスはそんなにないと思っている。