新町の飛龍は1846年(弘化3)に当時、中里家の日羅坊なる人が、
京都・南禅寺にいたので、醤油屋・前川仁兵衛、酒屋・石田伊右衛門の二人が、
南禅寺の障壁画に描かれている飛龍を見て帰り、
それを祖型にして当時、学にも秀でていた唐津焼の名門陶工の
中里守衛重広(九代太郎右衛門)、中里重造政之の兄弟に製作を依頼したという
珍しい工芸品で、十二代中里太郎右衛門は人間国宝となった。
塗師は小川次郎兵衛となっている。
飛龍は字の通り、空を飛翔する龍を意味している。
また、「飛龍天にあり」の言葉のごとく聖人が天子の位にあることをたとえて言う。
飛龍は中国では麒麟(キリン)、鳳凰、亀と共に四霊と呼ばれ、
神秘的な動物とされている。
龍は渕に棲むと言われており、水や雨に関係が深い動物である。
日本の神話では水神、海神として神聖化されている。
龍は、顔は、ラクダ、髭はナマズ、口(牙)はトラ、目は鬼、耳は牛、
角は鹿、胴はヘビ、鱗はコイ、足(爪)はタカで蜃氣が漂っていた。
以上のような説話から想像して、この新町の飛龍は造られたのだろう。
飛龍の胴体は粘土に紙張りで、羽と尾は木型に紙を張って漆で仕上げた一閑張りである。
曳山の幅は2.2㍍、高さ約6.8㍍。重さは1.75㌧ある。
この飛龍の本体は、上下左右に自由に大きく揺れるように工夫されている。
飛龍の曳山は、昭和25年に福岡市の市制施行祝賀に刀町・赤獅子、
米屋町・酒呑童子と源頼光の兜とともに街路パレードに参加、
大勢の市民から歓迎をうけた。
また、昭和52年には、NHKの第一回郷土芸能の祭りに特別出演。
東京の劇場で、せり上げによって舞台に体を揺らせながら現れ、
曳山囃子に合わせ曳山踊りも披露した。
昭和3年の総塗替えの時、曳山を小さくして現在の大きさになった。
現在の法被の 「飛龍 」 の文字は、徳川幕府の老中、小笠原壱岐守長行公の親筆である。
[参考:唐津くんち「ガイドブック」(1991)]